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マンホール(238):豊島区雑司が谷にある東京府の雨水枡蓋

東京府の蓋はこれまで人孔鉄蓋コンクリ製人孔蓋消火用吸水孔・そして雨水枡蓋を紹介してきた。
東京府というのはそれほど仕様書が固まっていなかったのか、23区外側の旧郡部を中心にさまざまな蓋が残っている(詳細は路上文化遺産データベース:東京府のページ参照)。

で、今回紹介するこの蓋。雨水桝蓋なのだが…。
mh238東京府雑司ケ谷 (1) mh238東京府雑司ケ谷 (2) mh238東京府雑司ケ谷 (3)
上掲のデータベースにはこれまで報告のなかった、シンプルながら新発見の様式であった。
所在地はちょっと微妙。護国寺墓地の下で、首都高池袋線の下の歩道になるのだが、ここは文京区大塚なのか豊島区雑司が谷なのか。グーグルマップに従えば、どうやら豊島区雑司が谷1丁目52になるようだ。
もし大塚であったなら、はじめての旧東京市15区内での発見となったのだが。

この蓋、事前情報無しで発見したのだが、知人の探蓋師が二日前にちょうど見つけていたばかりだったことが発覚。これは別に純然たるシンクロニシティではなく、実はふたりとも同じ目的でこの道を通りかかっただけである。
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マンホール(233):東大駒場の骨董蓋 2015再見

2009年に一度書いた東大駒場の一高・農学部蓋記事のアップデート。
というか5年以上たった現在この骨董蓋群はどうなっていたかという記事であります。


mh233駒場 (1)
矢内原門から北に進むと最初に出来わすのがこの「一高下水」蓋。

mh233駒場 (2)
もうちょっと北。101号館前の道と交わる辺り。

mh233駒場 (3) mh233駒場 (4)
更に北、101号館の東側。上に植物が繁茂しており、蓋盆栽どころじゃない。側面は斜面ゆえに露出している。

mh233駒場 (5)
更に北。銀杏並木と交わる辺りにある「農學部 計量器」の蓋。多分水道関係だと思う。一高と校地交換する前の農学部遺構はマンホール蓋に限らずこれくらいしか残っていないはずだ。

mh233駒場 (6)
101号館西側の物置のようなところに残っている「一高下水」蓋。引き戸?の影が落ちている。

mh233駒場 (7)
101号館真正面にあるもの。これはひときわキャムバ(表面の反り、盛り上がり)が強いようだ。

mh233駒場 (8)
1号館北東角の植え込みに半ば埋もれていた。これは個人的には初めて見たかもしれない。

mh233駒場 (9)
1号館中庭にも少なくともこの1枚が現存。

mh233駒場 (10)
中庭に至る1号館北側中央部分に一枚。

mh233駒場 (11)
そのそばに、本郷の蓋と同じようなデザインの「第一高等學校 暗」の蓋。

mh233駒場 (12)
上記2枚の近く、銀杏並木上に「第一高等學校 電」が1枚。

   ※   ※   ※

ここに載せた少なくとも10枚の骨董蓋が、駒場キャンパスには残っているようだ。
手抜かりで2009年記事に載せた東京市型の「一高下水」蓋の現況は見落としてしまった。まだあるんだろうか?

マンホール(213):北豊島郡王子町下水の角蓋など

王子町下水については、過去記事に概要と十条駅付近の人孔丸蓋を紹介済みである。

この他に、王子本町2丁目に多数の丸蓋とここにしかない角蓋があることが報告されていた。昨年夏、第4回マンホールナイトに併せて催されたマンホール街歩きの際に現地で撮った写真が出てきたので、これも記事にしてしまう。

mh213王子町 (1) mh213王子町 (2)
住居が解体された跡の空き地と思しきところに一枚。草に埋もれていてはっきりしないが、枠は石ではなくコンクリであろうか? よくみると王子町下水の紋章が残っているのがわかる。

mh213王子町 (3)
これは同地に10枚ほど遺る丸蓋の一つ。極めて狭い昔ながらの路地にあるのだが…

mh213王子町 (4)
周囲にはこのように狭いままだが今風に改造された部分もある。こんな大部分が側溝の道があってよいものだろうか…。工事が入っているものの、幸い丸蓋は健在であった。

mh213王子町 (5)
ついで。王子稲荷神社の付近で撮った痩せネコ。毛色が陰になるので、本物以上に細く見えるかわいそうなやつである。

マンホール(212):東部下水道町村組合の蓋

これはどうにか路上物件を見つけるまでは記事にするまいと思っていたのだが、正直無理そうだとわかってきたので記事にしてしまおう。

詳しくは路上文化遺産DBを参照いただきたいが、東部下水道町村組合とは、北豊島郡に属する南千住町・日暮里町・三河島町の三町が昭和3年に結成、昭和6年に着工した下水道組合だ。
この3町が隣接する尾久町とともに東京市荒川区となるのは昭和7年10月であるから、町村組合としての活動期間はそう長くない。

マンホールのふた」刊行当時には旧3町の区域にそれなりの現存数があったようだが今は聞かない。また区域外の新宿区高田馬場界隈にも数枚燈孔があったそうだが、これも数年前に更新され現存しない。

DBにあるように、公開施設では「虹の下水道館」という広報施設に人孔蓋が展示されている。それとは別に、ある下水道局施設に取り外された蓋が保管されていることを知り、一昨年の春に撮影してきたのがこれから紹介する画像である。

mh212東部下水道 (1) mh212東部下水道 (4) mh212東部下水道 (2) 
少々埃っぽいが、いずれも状態良好な人孔蓋が2枚あった。

mh212東部下水道 (3)
有名?な紋章。下水の二字の周りを、日暮里の・三河島の・南千住のが取り巻いているデザイン。昭和初期人孔紋章学の歴史に残る名作である。


   ※   ※   ※
 
東部下水道の蓋は路上に現存しないように書いたが、じつは一つだけ文京区内に越境蓋として遺っている物件が報告されている。
しかしこの蓋、往来の多い車道のど真ん中にあって撮影が非常に困難なのである。それでも撮影に成功した人がいるのがこの世界のすごいところ。

mh212東部下水道 (5) mh212東部下水道 (6)
私にできるのは歩道から狙うことだけだった……。

マンホール(208):昨年発見の東京府コンクリ蓋など

マンホール(101)の続き、ということになるか。
昨年秋に見つけていた蓋を紹介する。

中野区某所を散策していたら、細い暗渠のような路地を見つけた。通り沿いの店舗の脇、塀と塀の間を縫って一メートルほどの細道が東西に伸びていた。入ってみたところ出くわしたのがこれである。

mh208huhuta (1) mh208huhuta (2)
…府蓋だ。まぎれもなく府蓋だ。
かつては数えるほどしか知られていなかった府蓋であるが、最近は郊外を主に各地で見出され、路上文化遺産DBのページが重くてかなわないほどだ。
だいたい7割が鉄製丸蓋、2割がコンクリート製丸蓋(当記事のようなものだ)、1割がその他という塩梅だろうか。
これらのいずれも、当時府道として整備されたような都市計画道路の歩道などに置かれているケースがほとんどだ。こんな狭い路地に配置されている例は、ちょっと思い浮かばない。
そんなわけで発見時は文字通りじぶんの目を疑った。




おそらくこれであろうと思われる蓋が下水道台帳にも記録されていたが、用途は特殊人孔とあった。もしかして燈孔だろうか、と思ったのだが。


   ※   ※   ※

ついで。これは既知のものだが、たまたま機会がなく撮りそびれていた蓋。
阿佐谷南の青梅街道沿いにあるものだ。上にリンクした過去記事のものから数百メートル西に歩いてゆくと見つかる。
mh208huhuta (3) mh208huhuta (4)
プロフィール

rzeka

Author:rzeka
マンホール等探索者。

因果なことにアカデミックニート=人文系大学院生でもある。
rzekaはポーランド語で川の意。因みに発音はIPAだと[ˈʒɛka]になる。「じぇか」に近い音。



当ブログについて:リンクはご自由に。拙文がリンクされるようなサイトの話題には多分関心があるので、よければリンク張ったら呼んで下さい。画像の直リンクはfc2の環境上望ましくない(ちゃんと表示できないケースが多い)ようですので、あまりおすすめしません。なるべく記事ごとかブログトップ、カテゴリトップへのリンクを推奨します。但し、文章・画像その他すべての著作権は当方に帰属します。 ©rzeka

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