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    文京区町会コレクション【17】関口台町小学校エリアの4町会

    【17】関口台町小学校(関口2-6-1)……4町会
    目白台豊川町会、高田老松町会、関口町会、関口二・三丁目町会

    こんどは半年も空けずに済んだ、文京区町会コレクションのつづきであります。
    で、いつもの3点セット↓ これを見れば分かるように、「なんとか小エリア」というのは学区ではなく、避難地図準拠の話なのでねんのため。
    特集の序章
    防災地図 ※リンク先PDF by文京区
    昭和地図 by日文研

    (1)目白台豊川町会
    1701文京ー目白台豊川 (1) 1701文京ー目白台豊川 (2)
    掲示板の上部が隠れているので、ビラの記述で代用。しかし5色のタオルとはいったい。
    今日の目白台1・2丁目の多くを占める。かつての高田豊川町。表通りには日本女子大などがあり、南の方の斜面はこまごました民家も立ち並ぶ。そういえば田中角栄邸もこの区域になるのだろうか。お金持ちも多いのか、募金を16万も集めている。
    文京区でも最西端の町会といえる。

    (2)高田老松町会
    1702文京ー高田老松 (1) 1702文京ー高田老松 (2) 1702文京ー高田老松 (3)
    目白台3丁目南側と、和敬塾北側くらいまでだろうか。目白台運動公園・和敬塾・椿山荘・関口カテドラルなど面積の広い施設群に取り巻かれた、ところどころ昔ながらに古さびてはいるものの、なかなかの高級住宅街の部類だと思う。

    (3)関口町会
    1703文京ー関口 (1) 1703文京ー関口 (2)
    関口1丁目の西半分で、旧・関口町の範囲。神田川の南岸であり、途中新宿区の侵襲を被っていて文京区本土とはいささか断絶があるような地域である。概ね川と新目白通りのあいだであるが、一部新目白通りをさらに南に突き抜けているところもあり、文京区の領土的野心を思わせる。だいたい住宅、大通りに面したところにはオフィスビルという感じか。このへんだと、建物名に早稲田を含むところも散見する。

    (4)関口二・三丁目町会
    1704文京ー関口二三丁目
    たぶん関口2・3丁目の全域に重なるのではなかろうか。旧町名だと、関口町、関口台町、関口駒井町のそれぞれ一部。関口町は、文京区内の旧町名では珍しく、(いまでも郊外や田舎の住居表示未実施エリアで目にするように)飛び地が散在している感じだ。
    民家の他、公園・学校・椿山荘・関口カテドラルなどが含まれる。住宅ととしては分断が多く、まとまりには欠くかもしれない。
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    文京区町会コレクション【16】青柳小学校エリアの4町会

    【16】青柳小学校(大塚5-40-18)……4町会
    豊島ケ岡町会、大塚坂下南町会、大塚坂下北町会、目白台二丁目町会

    またしても半年も空いてしまったが、文京区町会コレクションのつづき。
    で、いつもの3点セット↓
    特集の序章
    防災地図 ※リンク先PDF by文京区
    昭和地図 by日文研


    (1)豊島ケ岡町会
    1601文京ー豊島ヶ岡
    旧大塚坂下町は、今日では文京区大塚5・6丁目となっている。
    北側が6丁目で南側が5丁目であるが、豊島ケ岡町会はその6丁目の西側の高台部分にあたる。なお低地部分が(3)の大塚坂下北町会。
    周囲の豊島区東池袋や大塚坂下北町会エリアと比べて、わりと区画が直線的に整った町並みであるが、細い路地の多さなどは同じであり、こみごみした文京区マイナー街の特徴はよく見て取れる。
    南側には護国寺や、おそらく町会名もここから取ったであろう皇室の豊島ヶ岡墓地がある。

    (2)大塚坂下南町会
    1602文京ー大塚坂下南
    旧大塚坂下町の南側である大塚5のうち、おそらくどこの町会にも属さないはずの護国寺・墓地・学校を除いた部分が大塚坂下南町会であろうと思われる。
    水窪川の作った低地沿いに古い建物が多く残り、路地探訪の好きな人にはたまらないエリアだと思う。ある消防系骨董蓋もこの地に眠っている。

    (3)大塚坂下北町会
    1603文京ー大塚坂下北 (1) 1603文京ー大塚坂下北 (2) 1603文京ー大塚坂下北 (3) 1603文京ー大塚坂下北 (4)
    (1)豊島ケ岡町会の東で、(2)大塚坂下南町会の北。大塚6の東側を占めるこの町会もやはり水窪川の低地沿いである。
    町並みの特徴も、(2)大塚坂下南町会と概ね同じである。なお、隣接する豊島区東池袋のある路地に、西巣鴨町の雨水枡蓋が残っている。現在判明している限り、西巣鴨町の骨董蓋の現存例はこれが唯一のものである。

    (4)目白台二丁目町会
    1604文京ー目白台2丁目
    現在の目白台2丁目は、旧町名でいう高田老松町・高田豊川町・雑司ヶ谷町のそれぞれ一部からなる。
    目白台二丁目町会は、町域のうち不忍通り以北に細長く伸びたエリアを占める。旧町名では、全域が雑司ヶ谷町に相当する。
    表通り沿いには再開発されたマンションがあり、奥まったところには日本女子大のテニスコートなどもある。合間合間には古い民家や寺院もあって、ちょっとモザイク状に混沌とした印象の町並みである。

    文京区町会コレクション【15】大塚小学校エリアの3町会

    【15】大塚小学校(大塚4-1-7)……3町会
    大塚上辻町会、大塚仲町町会、大塚四丁目協力会

    半年ぶり、どころではない町会シリーズの続きである。
    で、いつもの3点セットを↓に。
    特集の序章
    防災地図 ※リンク先PDF by文京区
    昭和地図 by日文研


    (1)大塚上辻町会
    1501文京ー大塚上辻
    不忍通りと春日通が交わる大塚3交差点あたりが、旧・大塚上町。その北側、新大塚駅あたりまでの春日通沿いが旧・大塚辻町である。このふたつを合わせた範囲からなるらしいのが大塚上辻町会である。現在の大塚4・5丁目にまたがっている。
    大通り沿いにマンションや寺、民家若干がある程度。特筆するほどのものはないと思う。


    (2)大塚四丁目協力会
    1503文京ー大塚四丁目協力会 (1) 1503文京ー大塚四丁目協力会 (2)
    大塚4のうち上記の大塚上町・大塚辻町に含まれない辺りは、ほぼ旧・大塚仲町の範囲に重なっている。
    その大塚仲町の西側を占めるのがこの大塚四丁目協力会である。
    目立つものとして大塚公園、さらに大通り沿いに学校がある。監察医務院もこっちに入るだろうか。そのほかは住宅地である。

    (3)大塚仲町町会
    1502文京ー大塚仲町 (1) 1502文京ー大塚仲町 (2) 1502文京ー大塚仲町 (3) 1502文京ー大塚仲町 (4)
    大塚仲町町会は、旧町域の東側で、千川通りに接するあたりまで。大塚四丁目協力会と隣接している。
    ここも小学校と病院があるほかは殆どいわゆる閑静な住宅街。

    文京区町会コレクション【14】窪町小学校エリアの2町会

    【14】窪町小学校(大塚3-2-3)……2町会
    大塚窪町町会、氷川下町会

    町会シリーズの続き。今回は2町会しかないから楽だ。
    本題に入る前に、いつもの3点セットを↓に。
    特集の序章
    防災地図 ※リンク先PDF by文京区
    昭和地図 by日文研

    (1)大塚窪町町会
    1401文京ー大塚窪町 (1) 1401文京ー大塚窪町 (2)
    大塚窪町は、茗荷谷駅の春日通り挟んで北側、今日の教育の森公園やら筑波大学附属やら窪町小学校があるあたり。現町名では大塚3丁目と小石川5丁目にまたがっている。
    この界隈は神田川の本流と支流(西に水窪川、北に谷端川=小石川)がつくる谷間が高台をごちゃごちゃと分断し入り乱れたややこしい地形なのだが、大塚窪町は高台の尾根筋にあたる春日通り以北、小石川の谷へ向かう斜面に位置しており(谷の最低部である小石川沿いは氷川下町となっている)、その町域はあくまで斜面で、とりたてて窪というのはいささか釈然としない気もする。前述の窪町小学校などは春日通り沿いだから、むしろ高台にあるくらいだ。
    なお小石川は礫川、氷川という別名があるほか、板橋区・豊島区方面では谷端川と呼ばれた。これもまたややこしい話なので、詳細は本田創編著『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』あたりを参考に。


    (2)氷川下町会
    1402文京ー氷川下 (1) 1402文京ー氷川下 (2) 1402文京ー氷川下 (3)
    すでにちょっと書いたように、氷川下町は大塚窪町の北側、小石川沿いに位置する。現町名では千石2・3丁目、大塚3・4丁目のそれぞれ一部となっている長い町だ。
    ここは明治11年の小石川区発足当時はまだ北豊島郡小石川村であったらしい。明治17年の地図)を見ると、このころは今の共同印刷のあたりまで川沿いだけが小石川村となっている一方で、巣鴨の街道沿いが小石川区に含まれている。明治22年に市町村制が施行された際に、川沿いは小石川村から東京市小石川区に編入され、一方巣鴨は北豊島郡巣鴨町の一部ととなったのだ。で、この編入エリアが明治24年に白山御殿町および氷川下町となったというわけだ。
    町名は、町域北側の高台に位置する氷川神社(大正期に簸川神社と改称し現在に至る、読みは同じ)からとったものだろう。なお簸川神社じたいは林町にある。
    町域内に特に目立つものはないが、昔は都電護国寺線に氷川下町電停があったので、年配の人にはそこそこ馴染みがある地名らしい。あ、そういえば太田胃散の本社があった。

    文京区町会コレクション【13】音羽中学校エリアの8町会

    【13】音羽中学校(大塚1-9-24)……8町会
    東青柳町会、目白台雑司ケ谷町会、音一文化会、音二町会、音羽三和会、音羽四丁目町会、音羽五丁目町会、大塚一・二丁目町会

    まだやってたんかい、と言われそうだが、例の町会シリーズの続き。今回は、第9回エリアの北側である。
    本題に入る前に、いつもの3点セットを↓に。
    特集の序章
    防災地図 ※リンク先PDF by文京区
    昭和地図 by日文研

    (1)東青柳町会
    1301文京ー東青柳 (1) 1301文京ー東青柳 (2)
    東青柳町は、現在の大塚2を中心に、一部音羽2に掛かっている小さな旧町だ。不忍通りの南側で、お茶の水女子大の縁の北側だ。向かい側に護国寺や豊島岡墓地があり。最寄り駅はもちろん有楽町線・護国寺。
    東というからには西もあったのでは? と思うのは自然だが、調べてみると音羽を挟んだ西側にかつては西青柳町というのもあったようだ。
    しかし現在西青柳町会はない。それもそのはずで、どうやら西青柳町はほぼ全域が首都高建設の結果高架の下になってしまっているらしいのだ。


    (2)目白台雑司ケ谷町会
    1302文京ー目白台雑司ケ谷
    現・目白台3の北側にあたるのがこの町会だ。旧町名は雑司ケ谷町。つまり、これは現町名と旧町名の合成による町会名なのである。
    雑司ケ谷というと豊島区じゃなかったのか、とお思いの方も多かろうが、それは現町名に限った話。もともとは一つの北豊島郡雑司ヶ谷村だったが、市町村制度発足時にどういうわけか南側が東京市小石川区(→文京区)に、北側が北豊島郡高田村(→高田町→豊島区)に分割されてしまい、こういうことと相成った。


    (3)音一文化会
    1303文京ー音一文化
    第9回にも書いたが、かつて音羽町は一から九丁目まであった。それを二つに分けて音羽1・2としたのが現在の町丁である。
    いちばん北側が一丁目で、江戸川橋側が九丁目である。今回は、その音羽町一の町会。護国寺駅の3・4番出口を出たあたりがこの町会であろう。


    (4)音二町会
    1304文京ー音二
    音一文化会の南側が音二。音羽2を三分割した真ん中で、講談社の社屋北半分はここに含まれると思う。かといって講談社は歳末に餅を搗いたり火の用心の巡回をしたりはしないと思う。


    (5)音羽三和会
    1305文京ー音羽三和 (1) 1305文京ー音羽三和 (2)
    音羽2丁目のいちばん南側3分の1が、もともとの音羽町三丁目である。
    音羽通りの東側にはマンションが3棟ほどとオフィスビルが建つが、西側には講談社社屋の南側と大塚警察署の敷地があるだけだ。なお大塚署は建て替え中で近隣に移転中。
    さて、上の掲示板は、実は同一のもの。車道側から見ると一枚目のようになっており、歩道側から見ると二枚目のようである。車道側の写真はコミュニティバス「B-ぐる」(しかしひどい命名だ)の車中より撮影した。
    ……車道側に掲示面をつけて、どうするつもりだったのか? 西側住民(多分いない)はオペラグラスでも使って見よということなのか。


    (6)音羽四丁目町会
    1306文京ー音羽四丁目 (1) 1306文京ー音羽四丁目 (2)
    上の音羽町三丁目の南側。くどいようだが、ここから現在の音羽1丁目なので要注意。
    昭和地図と見比べると分かるのだが、若干現在の目白台3にもはみ出ているように見える。このへんから南は、音羽通り西側にもマンション等が建っているので、面積の割に個数は多そうだ。


    (7)音羽五丁目町会
    1307文京ー音羽五丁目
    音羽町四の南。掲示板の枠部分に、旧町名番地を書いているのが良い。


    (8)大塚一・二丁目町会
    1308文京ー大塚12丁目
    いまの大塚1・2丁目はもとは大塚町であったが、この町会はその範囲に該当する。
    この地区は、筑波大学附属中高・お茶の水女子大・跡見女子大・拓殖大など(偏差値の順とかじゃないですよ)などの敷地が大部分を占めており、面積広大な割に世帯数は少ない。写真の掲示板はどこで撮ったものだか失念してしまった。
    プロフィール

    rzeka

    Author:rzeka
    マンホール等探索者。

    因果なことにアカデミックニート=人文系大学院生でもある。
    rzekaはポーランド語で川の意。因みに発音はIPAだと[ˈʒɛka]になる。「じぇか」に近い音。



    当ブログについて:リンクはご自由に。拙文がリンクされるようなサイトの話題には多分関心があるので、よければリンク張ったら呼んで下さい。画像の直リンクはfc2の環境上望ましくない(ちゃんと表示できないケースが多い)ようですので、あまりおすすめしません。なるべく記事ごとかブログトップ、カテゴリトップへのリンクを推奨します。但し、文章・画像その他すべての著作権は当方に帰属します。 ©rzeka

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