マンホール(78):東京市下水道局の変種?
東京市/東京都下水道局の紋章については以前の記事でも触れたが、昭和42~44年あたりを過渡期として以下のように変化してきた。

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この様式は、東京23区+αの広い範囲に膨大な数が設置されたものであるが、紋章等のディテールに上水道系の蓋で見られるようなばらつきは見られず、概ね規格通り均一に鋳造されている。当局による鋳型の監督管理が行き届いていたようだ。
今回見つけたものは、珍しく紋章の造形が狂っているものである。
発見した場所は千石1丁目の燈孔のある路地の入口。

紋章の足の短さは戦前仕様と同じ感じだが、太さはのちの仕様と同じ具合。
ここの下水管はレンガ造りの相当に古い代物であり、また燈孔やら汚水枡やらといった戦前の様式の蓋が他にも複数見受けられる。戦前の様式が確立する前のヴァリエーションではあるまいか、とも推測するがどうであろうか。

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この様式は、東京23区+αの広い範囲に膨大な数が設置されたものであるが、紋章等のディテールに上水道系の蓋で見られるようなばらつきは見られず、概ね規格通り均一に鋳造されている。当局による鋳型の監督管理が行き届いていたようだ。
今回見つけたものは、珍しく紋章の造形が狂っているものである。
発見した場所は千石1丁目の燈孔のある路地の入口。


紋章の足の短さは戦前仕様と同じ感じだが、太さはのちの仕様と同じ具合。
ここの下水管はレンガ造りの相当に古い代物であり、また燈孔やら汚水枡やらといった戦前の様式の蓋が他にも複数見受けられる。戦前の様式が確立する前のヴァリエーションではあるまいか、とも推測するがどうであろうか。
マンホール(77):池袋地域冷暖房の蓋
豊島区役所付近を歩いていたら見つけた蓋。
これは地域のオフィスビル等に対し冷暖房を提供している池袋地域冷暖房株式会社というところの蓋。
各ビル個別ではなく、ある程度の規模で集約して行うことで効率化などを図るこうした事業は地域熱供給等と呼ばれるもので、国内では多分「丸の内熱供給」あたりがハシリではないかと思われる(丸熱の蓋は「マンホールのふた」P.88に掲載されている)。

これは地域のオフィスビル等に対し冷暖房を提供している池袋地域冷暖房株式会社というところの蓋。
各ビル個別ではなく、ある程度の規模で集約して行うことで効率化などを図るこうした事業は地域熱供給等と呼ばれるもので、国内では多分「丸の内熱供給」あたりがハシリではないかと思われる(丸熱の蓋は「マンホールのふた」P.88に掲載されている)。


マンホール(76):足立区の雨水枡蓋
マンホール(75):千住町の下水人孔蓋
昨日のこと。都庁で紙の下水道台帳図を閲覧してきた方から「千住中居町には古い蓋がある可能性あり」との情報を得た私は、駄目元でgoogleストリートビューで界隈を探してみようと思い立った。
探すことわずか二分でめぐり合った蓋がこれである。
http://bit.ly/fKPsP0
断定できるほど鮮明には写っていないものの、千住町の紋章にみえる。また、都内では割と珍しい名古屋市型の蓋である点なども林丈二「マンホールのふた
」所収の写真と一致していることから、ほぼ間違いなく千住町の蓋であると思われた。
そこで早速翌日すなわち今日、アカデミックニートならではの暇を利用して実地検分に出向いた次第である。
折角なので千住中居町に関してはすべての公道を見て歩くことにした。
早速「千住警察署入口」交差点の方から問題の路地に入っていくと程なくしてストリートビューとは別の蓋がみえてきた。遠目にも名古屋市型と判る。これはもしかしてと思い近づくと、間違いなく千住町の蓋であった。
これと同じものが合計3枚現存していた。
紋章の拡大。外側に三つあるイカの頭みたいなのが千住の「千」の字の図案化らしい。

なお、路地突き当たりにあるものは上の蓋よりも一回り大きなものであった。こちらは鍵穴以外穴は空いていない。

それから、以下に掲げるような無銘の角蓋を町内で4枚ほど確認した。写真の一枚を除きみな民家の敷地内ギリギリにあり、もしかすると家庭用汚水桝の類ではないかと思う。

より大きな地図で 千住町下水道 マンホール を表示
因みに、千住町とその下水道の沿革は以下の通り。
1889(明治22)年の近代市町村制発足に際し、南足立郡千住町となる。
下水道の設置は郊外町村のうちでも最初期で、大正10年からはじまっている。
1932(昭和7)年の大東京市発足に際し市に編入され、他の2町7村とともに足立区となる。
千住町としての下水道工事は編入の同年まで行われている。
探すことわずか二分でめぐり合った蓋がこれである。
http://bit.ly/fKPsP0
断定できるほど鮮明には写っていないものの、千住町の紋章にみえる。また、都内では割と珍しい名古屋市型の蓋である点なども林丈二「マンホールのふた
そこで早速翌日すなわち今日、アカデミックニートならではの暇を利用して実地検分に出向いた次第である。
折角なので千住中居町に関してはすべての公道を見て歩くことにした。
早速「千住警察署入口」交差点の方から問題の路地に入っていくと程なくしてストリートビューとは別の蓋がみえてきた。遠目にも名古屋市型と判る。これはもしかしてと思い近づくと、間違いなく千住町の蓋であった。


これと同じものが合計3枚現存していた。
紋章の拡大。外側に三つあるイカの頭みたいなのが千住の「千」の字の図案化らしい。

なお、路地突き当たりにあるものは上の蓋よりも一回り大きなものであった。こちらは鍵穴以外穴は空いていない。

それから、以下に掲げるような無銘の角蓋を町内で4枚ほど確認した。写真の一枚を除きみな民家の敷地内ギリギリにあり、もしかすると家庭用汚水桝の類ではないかと思う。

より大きな地図で 千住町下水道 マンホール を表示
因みに、千住町とその下水道の沿革は以下の通り。
1889(明治22)年の近代市町村制発足に際し、南足立郡千住町となる。
下水道の設置は郊外町村のうちでも最初期で、大正10年からはじまっている。
1932(昭和7)年の大東京市発足に際し市に編入され、他の2町7村とともに足立区となる。
千住町としての下水道工事は編入の同年まで行われている。