マンホール(75):千住町の下水人孔蓋
昨日のこと。都庁で紙の下水道台帳図を閲覧してきた方から「千住中居町には古い蓋がある可能性あり」との情報を得た私は、駄目元でgoogleストリートビューで界隈を探してみようと思い立った。
探すことわずか二分でめぐり合った蓋がこれである。
http://bit.ly/fKPsP0
断定できるほど鮮明には写っていないものの、千住町の紋章にみえる。また、都内では割と珍しい名古屋市型の蓋である点なども林丈二「マンホールのふた
」所収の写真と一致していることから、ほぼ間違いなく千住町の蓋であると思われた。
そこで早速翌日すなわち今日、アカデミックニートならではの暇を利用して実地検分に出向いた次第である。
折角なので千住中居町に関してはすべての公道を見て歩くことにした。
早速「千住警察署入口」交差点の方から問題の路地に入っていくと程なくしてストリートビューとは別の蓋がみえてきた。遠目にも名古屋市型と判る。これはもしかしてと思い近づくと、間違いなく千住町の蓋であった。
これと同じものが合計3枚現存していた。
紋章の拡大。外側に三つあるイカの頭みたいなのが千住の「千」の字の図案化らしい。

なお、路地突き当たりにあるものは上の蓋よりも一回り大きなものであった。こちらは鍵穴以外穴は空いていない。

それから、以下に掲げるような無銘の角蓋を町内で4枚ほど確認した。写真の一枚を除きみな民家の敷地内ギリギリにあり、もしかすると家庭用汚水桝の類ではないかと思う。

より大きな地図で 千住町下水道 マンホール を表示
因みに、千住町とその下水道の沿革は以下の通り。
1889(明治22)年の近代市町村制発足に際し、南足立郡千住町となる。
下水道の設置は郊外町村のうちでも最初期で、大正10年からはじまっている。
1932(昭和7)年の大東京市発足に際し市に編入され、他の2町7村とともに足立区となる。
千住町としての下水道工事は編入の同年まで行われている。
探すことわずか二分でめぐり合った蓋がこれである。
http://bit.ly/fKPsP0
断定できるほど鮮明には写っていないものの、千住町の紋章にみえる。また、都内では割と珍しい名古屋市型の蓋である点なども林丈二「マンホールのふた
そこで早速翌日すなわち今日、アカデミックニートならではの暇を利用して実地検分に出向いた次第である。
折角なので千住中居町に関してはすべての公道を見て歩くことにした。
早速「千住警察署入口」交差点の方から問題の路地に入っていくと程なくしてストリートビューとは別の蓋がみえてきた。遠目にも名古屋市型と判る。これはもしかしてと思い近づくと、間違いなく千住町の蓋であった。


これと同じものが合計3枚現存していた。
紋章の拡大。外側に三つあるイカの頭みたいなのが千住の「千」の字の図案化らしい。

なお、路地突き当たりにあるものは上の蓋よりも一回り大きなものであった。こちらは鍵穴以外穴は空いていない。

それから、以下に掲げるような無銘の角蓋を町内で4枚ほど確認した。写真の一枚を除きみな民家の敷地内ギリギリにあり、もしかすると家庭用汚水桝の類ではないかと思う。

より大きな地図で 千住町下水道 マンホール を表示
因みに、千住町とその下水道の沿革は以下の通り。
1889(明治22)年の近代市町村制発足に際し、南足立郡千住町となる。
下水道の設置は郊外町村のうちでも最初期で、大正10年からはじまっている。
1932(昭和7)年の大東京市発足に際し市に編入され、他の2町7村とともに足立区となる。
千住町としての下水道工事は編入の同年まで行われている。
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