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    マンホール(88):駒込西片町の下水蓋

    林丈二『マンホールのふた』p.61に「本郷西片町 阿」の銘が入った古い丸蓋の写真が掲載されている。この蓋について林氏は、この地を住宅地として開発した阿部家の頭文字であろうと述べている。
    この蓋についての氏の推測を裏付ける文献を見つけた。山口広編『郊外住宅地の系譜―東京の田園ユートピア』というものである。同書では東京郊外の明治~昭和前期の郊外住宅地開発について、14の事例に即して概説している。最初の一章が西片に充てられており、そこに『マンホールのふた』所収のものと同じ丸蓋および角蓋の写真が掲載されている。

    本郷区駒込西片町(現在は文京区西片1・2丁目)はもともとほぼ全域が福山藩主阿部家の敷地であった。「安政の改革」で知られる老中阿部正弘を輩出したのはこの家系である。
    廃藩置県後上京した10代・阿部正桓が敷地の一部(今の2丁目側)を用いた賃家業を始めたことが、西片住宅地のはじまりである。住人に旧家臣の他近傍の帝大の教授らを迎え入れた西片は学者町と呼ばれ、西側の崖下の丸山福山町(樋口一葉が極貧の裡に死去した地)とは好対照の高級住宅地であった。因みに、漱石の『』で宗助・お米夫妻が住むのが丸山福山町、崖の上の大家・坂井が住むのが西片町である。
    震災後の昭和3年、11代・阿部正直伯爵(雲を専門とする気象学者で理博でもあった)は自邸敷地を更に縮小し、今の1丁目の北側の住宅地を造成した。この造成時に敷設された下水の蓋が、くだんの「本郷西片町 阿」の蓋なのであった。

    この蓋が残ってはいないかと先日探索に行ってきた。昭和3年に開かれた区域を中心に一通り探したが、殆んどめぼしいものはなかった。『マンホールのふた』所収の丸蓋は現存しないらしく、成果なしか、と一旦は諦めた。しかし、とある邸宅の勝手口に角蓋が残っているのを発見した。私有地上の物件であるので、位置情報は伏せる。
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    余談だが、この町の面白い特徴は、住居表示として「いろは番号」を導入した点である。もともと全域がひとつの屋敷であったせいで開かれた住宅地は全部10番地であり不便極まりなかったので、いろはと数字を組み合わせた独特の地番を導入したのである。例えば、夏目漱石『三四郎』で広田先生が引っ越すのは「西片町十番地への三号」。漱石自身もひところ「ろの七号」に住んでいた。
    このいろは番号の表札が2つ残っているのを見つけた。番地は公然のものとはいえ、一応人様のものであるから一部伏字。「本郷区」というのが素敵。
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    マンホール(87):北豊島郡・高田町下水道の蓋

    現豊島区は、1932(昭和7)年10月1日に、高田町・巣鴨町・西巣鴨町・長崎町の合併によって成立した区である。この旧4町のうち、長崎町を除く3町では独自の下水道事業が着工されていた。但し着工から5ヶ月足らずで町自体がなくなった西巣鴨町では、わずか約500~4000mしか施工されずじまいだったらしい(施工延長の数値は文献によって異なるようだ)。高田町下水道の蓋は比較的残っているほうで、路上文化遺産データベース:高田町等にも多く報告されている。

    高田町の領域は豊島区東南部にあたり、現代の町名では以下に相当する。
    雑司が谷・高田のほぼ全域、西池袋二丁目・南池袋二~四丁目・目白一~三丁目の大部分

    今回見つけたのは、目白2-4と2-5の間の、一応公道であるらしい路地にあった蓋である。「マンホールのふた」によれば、目白2丁目界隈にはわりと古い蓋が残っていたようだ。今回の蓋はその生き残りらしい。

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    なお、中央の紋章の字体は3種類ほどあるようで、詳しくは上記のデータベースへのリンクを参照されたい。

    マンホール(86):震災時仮設トイレになる人孔

    東京都下水道局では、震災時に仮設トイレを設置可能なマンホールを整備しているそうだ(ネット上にある情報源としては「東京都の下水道2010」などを参照のこと)。
    冊子「ニュース 東京の下水道」(No.220 2010.9)によれば、こうしたマンホールは以下の条件の場所にあるという。すなわち、

    ・避難所の周辺で下水道管の耐震化が完了している
    ・し尿が堆積しない程度の水量がある
    ・交通の支障にならない

    という条件である。平成21年度末現在で、23区内に3900箇所が指定されているとの由。
    同年のマンホール設置総数が479,598個なので、おおよそ1%弱である。
    冊子や上記リンクの画像によると、マンホールの蓋を外した上に仮設の便座をすえつけ、テント様の覆いをかけて使うらしい。

    マンホールの下端中央の凹みに青いキャップが埋め込まれているのが目印だ。
    先日文京区内の中学校前を通りかかったとき、そうした目印のある蓋を見つけたので掲載する。おそらくこの学校が避難場所に指定されているのであろう。

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       ※   ※   ※   

    一方、これも用途は違うが震災とトイレに関係する蓋。

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    東京市型の蓋の真ん中、普通ならば下水道局のマークが入っている部分がくり抜かれている。
    この蓋、三河島の下水処理センターにある。非常時に汲み取り車?等で回収した屎尿を受け入れるための設備だという。

    暗渠(7):音羽川(水窪川)下流域を歩いてみた

    まる一年以上書いていなかった暗渠記事である! (5)や(6)はどこ行ったんだと思われるかもしれないが、これはファイルの管理上仕方ないのだ。 
    これほどご無沙汰したのは関心がマンホールに移ったことが原因の一つである。しかし、マンホールを探して歩く過程ではよく暗渠を探索する機会もあり、決して暗渠を歩くのをやめたわけではないのである。
    先日も宇田川などを歩いてきたのだが、特に面白いものがなかったので写真は没フォルダ行きにしたのだった(そもそも私が面白いと思う暗渠は得てして民家の裏庭も同然の込み入った場所であって、プライバシー上写真を撮ってきてウェブに大公開!とはしづらいのである)。

    さて、今回行ってきたのは音羽川というところである。音羽川という名称は「川の地図辞典 江戸・東京/23区編」によるものだが、「東京ぶらり暗渠探検 消えた川をたどる!」では前者では別名としている水窪川の名称を採用している。

    上流の方はよく見ていないので、下流から紹介。

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    江戸川橋の脇から神田川を見下ろすと、このように雨水吐が開いているのが目に入る。これが、音羽川および並走する弦巻川の河口にあたる(下水道としては、坂下幹線の雨水管である)。

    河口の北側、435号線の東に並走する道(小日向2-19と音羽1-1…の境界線)があるが、これが音羽川の流路である。北上すると、右手に石積みされた崖がある。崖の上の街は文京区小日向だ。石垣からはところどころ排水管が突き出ており、小日向の雨水と思しき湧水が今も滲みでている。

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    足元に現行のマンホールがあった。キャップを見ると、ここの管渠は1932年設置のものらしい。恐らくは、これが暗渠化の年代であろう。鉄縁付きなど、古いマンホールも集まっている。

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    もうしばらく行くと右手に今宮神社という神社が現れる。正面から見てみよう。

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    手前にあるのは鉄縁付きの旧マンホール。マンホールと石段の間にいくつかの細長い岩が横たわっているが、これはどうも石橋の痕跡らしい。同じところを今度は横から(すなわち流路側から)見てみよう。

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    ここからさらに北上。ビルや住宅の隙間に暗渠は細く続く。

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    しかし、神社から100メートルほどで行き止まりになる。行き止まりから100メートル強の区間は、暗渠は途切れてしまっている。どん詰まりは民家の軒先なので写真は撮らなかったし無理に踏み込みもしなかったが、鉄縁付きの蓋が半ば埋もれて残っているようだった(下水道台帳によれば、90×120の楕円形人孔があるそうだ)。
    因みに、暗渠を分断しているものの一つは、丘の上の鳩山会館へと続くアプローチである。庶民生活をズタズタにするだけでは飽きたらず、暗渠まで分断するのか、かの鳩山は! (←いきなり社会派)

    この分断部を超えると、しばらくはまた崖下の道がだらだらと続く。筑波大付属中高やお茶の水女子大学の麓を巻いて流れ、不忍通りで護国寺・豊島岡御陵の真正面に出くわす。筑波大附のあたりが一番高低差が大きいと思われる。崖を登る階段は、レンズの視野に収まりきらない。

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    とりあえず今回はここでおしまい。

    マンホール(85):工業用水道の泥吐室

    前回紹介した水道泥吐室の工業用水道版である。

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    前回掲載の蓋は環七南側にあったが、こちらは丁度逆の北側に対になるように設置されていた。
    プロフィール

    rzeka

    Author:rzeka
    マンホール等探索者。

    因果なことにアカデミックニート=人文系大学院生でもある。
    rzekaはポーランド語で川の意。因みに発音はIPAだと[ˈʒɛka]になる。「じぇか」に近い音。



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