マンホール(125):北豊島郡・王子町の蓋
昨年の5月に発見・撮影したきり、写真フォルダのなかで放置され続けてきたのが、ここで取り扱う王子町の蓋である。
なにぶん時間が経っているので記憶も定かではないし、また「王子町誌
」などの文献にも改めて当たらずに書いたので、内容が薄いことは予めお断りせねばなるまい。近々文献を発掘するなりして情報面は補完するつもりである。
さて、これまで豊島区(巣鴨町、高田町)や新宿区(大久保町)、渋谷区(千駄ヶ谷町)などについて記事を書いてきたわけだが、今回は初顔となる北区の下水蓋である(荒玉水道や千川上水といった上水の蓋に関しては書いたことがある)。
まずは北区成立までの経過だが、それは以下のようにまとめることができる。
・1932年まで 北豊島郡王子町・岩淵町・滝野川町
・1932年10月 王子+岩淵→東京市王子区、滝野川町→東京市滝野川区となる
・1947年3月 王子区+滝野川区→東京都北区(現在に至る)
この3町のうち東京市併合以前に下水道の計画があったのは王子と滝野川だが、滝野川では着工が併合後にずれ込んだため、現在蓋が残っているのは王子町のみである。
今後滝野川町の蓋がもし見つかったなら、それは大発見といえる(併合前に制作していた蓋があったかもしれないし、たとえ下水道が着工されていなくとも千駄ヶ谷町や品川町のパターンで排水路の暗渠化事業などが行われていた可能性もある)。
そんな北区唯一の骨董下水蓋だが、我々愛好家にとってはありがたいことに残存数は多いほうだ。たぶん二桁の枚数が残っているのは今では王子町のみだと思うが、その王子町蓋も最近撤去の報せを聞くことが多くなってきたので、動向には要注意である。
※ ※ ※
それでは本題。
東十条駅を降り、周辺を少しうろついてから西に進み、十条駅方面へ向かった。
上野浅草などを除けば都内唯一ではないかと思われる大衆演劇の常打小屋などのあるながい商店街を進み、埼京線の線路が向こうに見えてきたあたりで右折、北側に広がる住宅地の毛細血管のような路地に入っていく。そこらに車が止まっていることで、ようやく車が通れることがわかる。何かありそうな匂いがする。

線路際の行き止まり、足下で光る摩滅した蓋こそが…。

王子の「王」を「下水」を図案化した環で囲んだ図案(東京都のものとは違うが、これも一種の下水構えであろう)。
これが王子町下水の紋章である。
後述するようにこの紋章には文字にヴァリエーションがある。この蓋は、丸みを帯びた比較的細めの線が特徴。

線路を渡って十条仲原1丁目に入る。銭湯の裏にはこいつがいる(向こうの曲がり角にあるのは人孔縁塊付きの東京市蓋)。

先ほどの紋章とはよく似ているが、王の中の横棒の長さが違っている。摩耗によるものではないようだ。

十条駅の駅前商店街に戻る。商店街自体は小奇麗でさほど古いものは見つからない。しかし、ちょっと裏に入った路地などを丹念に探すと、未報告(当時)だった蓋が見つかりもしたのだった。紋章部分は、「水」が一体化して密な感じだったり、「王」の字の線が太くより丸っこくなっている。
わたしが実見した蓋はこの程度だが、この他にも何ケ所かに王子町の蓋は残っている/いた。
撤去の動きがあるだけに、データベースなどを参考に早いところ他所の蓋も探訪しておくべきだろう。
※ ※ ※
後日、三河島水再生センターを見物 見学したとき、施設内で保管されている王子町の燈孔を撮影してきたので、もう一度載せる。


(2012/04/28追記)
なにぶん時間が経っているので記憶も定かではないし、また「王子町誌
さて、これまで豊島区(巣鴨町、高田町)や新宿区(大久保町)、渋谷区(千駄ヶ谷町)などについて記事を書いてきたわけだが、今回は初顔となる北区の下水蓋である(荒玉水道や千川上水といった上水の蓋に関しては書いたことがある)。
まずは北区成立までの経過だが、それは以下のようにまとめることができる。
・1932年まで 北豊島郡王子町・岩淵町・滝野川町
・1932年10月 王子+岩淵→東京市王子区、滝野川町→東京市滝野川区となる
・1947年3月 王子区+滝野川区→東京都北区(現在に至る)
この3町のうち東京市併合以前に下水道の計画があったのは王子と滝野川だが、滝野川では着工が併合後にずれ込んだため、現在蓋が残っているのは王子町のみである。
今後滝野川町の蓋がもし見つかったなら、それは大発見といえる(併合前に制作していた蓋があったかもしれないし、たとえ下水道が着工されていなくとも千駄ヶ谷町や品川町のパターンで排水路の暗渠化事業などが行われていた可能性もある)。
そんな北区唯一の骨董下水蓋だが、我々愛好家にとってはありがたいことに残存数は多いほうだ。たぶん二桁の枚数が残っているのは今では王子町のみだと思うが、その王子町蓋も最近撤去の報せを聞くことが多くなってきたので、動向には要注意である。
※ ※ ※
それでは本題。
東十条駅を降り、周辺を少しうろついてから西に進み、十条駅方面へ向かった。
上野浅草などを除けば都内唯一ではないかと思われる大衆演劇の常打小屋などのあるながい商店街を進み、埼京線の線路が向こうに見えてきたあたりで右折、北側に広がる住宅地の毛細血管のような路地に入っていく。そこらに車が止まっていることで、ようやく車が通れることがわかる。何かありそうな匂いがする。

線路際の行き止まり、足下で光る摩滅した蓋こそが…。


王子の「王」を「下水」を図案化した環で囲んだ図案(東京都のものとは違うが、これも一種の下水構えであろう)。
これが王子町下水の紋章である。
後述するようにこの紋章には文字にヴァリエーションがある。この蓋は、丸みを帯びた比較的細めの線が特徴。

線路を渡って十条仲原1丁目に入る。銭湯の裏にはこいつがいる(向こうの曲がり角にあるのは人孔縁塊付きの東京市蓋)。


先ほどの紋章とはよく似ているが、王の中の横棒の長さが違っている。摩耗によるものではないようだ。


十条駅の駅前商店街に戻る。商店街自体は小奇麗でさほど古いものは見つからない。しかし、ちょっと裏に入った路地などを丹念に探すと、未報告(当時)だった蓋が見つかりもしたのだった。紋章部分は、「水」が一体化して密な感じだったり、「王」の字の線が太くより丸っこくなっている。
わたしが実見した蓋はこの程度だが、この他にも何ケ所かに王子町の蓋は残っている/いた。
撤去の動きがあるだけに、データベースなどを参考に早いところ他所の蓋も探訪しておくべきだろう。
※ ※ ※
後日、三河島水再生センターを






(2012/04/28追記)
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