探蓋行 2012・3・28
去る3月28日に杉並区を中心に探蓋行をしてきたので、日記形式でレポートを残しておこうと思う。
歩行中のTwitterのログはこちら。午前中は高円寺を、午後は西荻を起点に歩いた。
おおまかな行程図は以下のごとし(サムネイルではボケてしまうと思うので、クリックして拡大されたし)。

※ ※ ※
朝八時頃、文京区内の自宅を出る。30分弱歩き、菊坂を通って本郷三丁目駅に出る。途中、以前書いた雨水枡の傍を通りかかると、きょうは駐車場に車がいなく、奥の水路敷(一見私道なのだが、東大下水の一部なのだ)が見える。そこに何かあるような気がしてちょっと入ってみると、もう一枚この角蓋があった。都内で4枚目の発見である。

駅近くの店で朝うどんを注文するも、厨房が慌ただしい。何とか機が不調で麺が不出来とのことらしく、返金のうえ無料で出してくれた。それならと厚かましくも頂いたが、別に十分水準以上の味だったと思う。その日はその後臨休となったらしい。
丸ノ内線で東高円寺駅へ。まずはなんとなく南下、梅里に源流があると思しき暗渠を訪ねる。

足元にはあまり見覚えのない角蓋。

暗渠風景はこんな感じ。しばらくうろつくが、あまり珍しい物件はなし。もう少し下流には荒玉水道の泥吐室は一枚ある可能性があるのだが、今日の探索エリアからはちょっと遠ざかってしまうのでパス。西へ引き返す。荒玉水道道路の周辺をちょっと見ておきたいのだ。
環七をわたり、梅里へ。水道の給水管線があるのか大ぶりの制水弁や空気弁、量水器などが目に付くが、特段珍しいものではない。
いや待てよ。足元にあるこいつ、ちょっと違和感が…。

あ! よく見ると文字の配置が非対称じゃないか。なんじゃこれは。

近所には錆がひどいが足長の制水エンもある。
ひと通り見たところで、青梅街道の北側に移動。予め情報を仕入れておいた荒玉水道の蓋があるのだ。これを撮影するのが本日の最初の(そして最低限の)ミッションだ。

あった、こいつだ。ちょうど蓋の端まで影が降りている。どうも私は荒玉の蓋とは(撮影時のライティングという意味で)相性がよくない。

文字拡大。「荒玉水道複排気エン」とあるが、要するに空気弁だろう。印鑑のような字だ。

車がようやく通れるような路地のちょうど真ん中にある。車のタイヤが踏まないので状態がいいのだろう。

いろんな撮り方で。なんだか既に挙げたのと大差ないがまあいいや。
しばらく付近で二匹目のドジョウを探すが全然いない。まだ歩いたことのない道を選んで高円寺へ。都丸書店で
・ドブロリューボフ「オブローモフ主義とは何か?
」(岩波文庫、300円)
・「戦車と自由―チェコスロバキア事件資料集
」(みすず書房、全2巻、500円)
を買い求める。
※ ※ ※
勿論歩いても良かったのだが、今日の第二の目的は井荻町水道の蓋探しである。旧杉並町内を歩く時間が勿体ないので中央線に乗った。
西荻窪で降りる。ここで昼食をとってから午後の部といこうかと思ったが、まだちょっと早いので少し歩いてみる。目抜き通りの一本脇を北上し、橋を渡りうろうろする。特に何もないが、そのうち武蔵野市の下水蓋がやけに多い道を見つけた。
まぎれこんだ越境蓋にしては妙にちゃんとつながっているので、さては武蔵野市の下水を東京都の幹線に送るための管路ではないかと推測した。
武蔵野市のサイトによれば、同市の第1処理区善福寺川排水区の下水は、都の善福寺幹線を経て落合水再生センターへ送られているというから、多分これに関係するのではないかと思った。

武蔵野市境から北へ。善福寺池近くの杉並浄水場を目指すのだ。途中に大きい蓋がいくつか。

歩いていて、脇をひょいと見ると防火水槽の標識が立っている。半ば民家の軒先のようなところに何故か蓋があり、それをよく見ると「消防廳」表記ではないか。大塚に続く、第二の現存例。
《注:この蓋の掲載にはいささか躊躇はないでもないが、単なる枡蓋などとは異なり本質的に公共に存在が公開されている消防水利の蓋であるから、場所は明示しないまでも蓋自体は公開することにした。》

さて、浄水場の側に来ると見つかったのが、この大小の制水エンである。辺りで古そうなのはこのくらいしかない。しっかりと萌え点。

浄水場の敷地内には色々と蓋が見える。見たいなあ。井荻町時代のも何かあるかも。
しばらく浄水場の周りをうろついてから東へ。「隣接五郡に於ける上水道に関する調査」(東京府、S7)p.167. の図(以下の埋め込み画像参照)によれば給水幹線があったはずの道をゆく。今日の早稲田通りと青梅街道に太い管があったようだが、きょうは後者を歩きたい。
善福寺池を背に歩き、井草八幡のところで右折。それにしても想像以上に立派な神社だ。
窓を曲がるとスーパーのサミットがあったりして、スギナミックな風景。上京直後の一年を杉並で過ごした私には懐かしい。

もうちょっと行くと神社の南側の参道があるが、その傍にこんな石碑が。井荻町の先進的な市街計画を記念顕彰するその由来は案内板にある通り。台石と合わせて7メートル以上という巨大なものだ。

肝心の古蓋はいっこうに出てこないが、荻窪郵便局の向かい辺りの歩道には東京府の紋章入りの境界石が立っていたりする。

そしてその傍には古い伸縮管の角蓋が。多分この蓋のある道までまっすぐだと思う。見比べると微妙に違うのが面白い。

その後環七を南下、線路の手前で西荻北の住宅地にまた入ると、ちょっと変わった東京市蓋が。どこかで見たと思ったら、「駅から」の下水君特集にあったやつだった。

もう何度目かわからんが善福寺川にかかる橋を渡ると、泥吐室の角蓋があった。地紋はさきほどの伸縮管類と同様のものだが、このタイプのを泥吐で見たのははじめて。
※ ※ ※
このへんで天気が怪しくなってきたので井荻町探しはやめて吉祥寺まで歩いて移動。
古本屋を覗いてゴンチャロフ「日本渡航記―フレガート「パルラダ」号より
」(岩波文庫、250円)を買い求めたり、紅茶屋に入ったりとウロウロ。

駅前の駐輪場に自転車がたまたまなく、気になっていた古い消火栓を撮影できた。
その後荻窪まで二駅歩いて、メトロに乗って帰還した。
※ ※ ※
最後に。今日探して見つからなかった井荻町水道のマークの絵解き。原図は「マンホールのふた
」より。

「井・ヲ・キ・水」で井荻町水道というわけだ。
歩行中のTwitterのログはこちら。午前中は高円寺を、午後は西荻を起点に歩いた。
おおまかな行程図は以下のごとし(サムネイルではボケてしまうと思うので、クリックして拡大されたし)。


※ ※ ※
朝八時頃、文京区内の自宅を出る。30分弱歩き、菊坂を通って本郷三丁目駅に出る。途中、以前書いた雨水枡の傍を通りかかると、きょうは駐車場に車がいなく、奥の水路敷(一見私道なのだが、東大下水の一部なのだ)が見える。そこに何かあるような気がしてちょっと入ってみると、もう一枚この角蓋があった。都内で4枚目の発見である。

駅近くの店で朝うどんを注文するも、厨房が慌ただしい。何とか機が不調で麺が不出来とのことらしく、返金のうえ無料で出してくれた。それならと厚かましくも頂いたが、別に十分水準以上の味だったと思う。その日はその後臨休となったらしい。
丸ノ内線で東高円寺駅へ。まずはなんとなく南下、梅里に源流があると思しき暗渠を訪ねる。

足元にはあまり見覚えのない角蓋。

暗渠風景はこんな感じ。しばらくうろつくが、あまり珍しい物件はなし。もう少し下流には荒玉水道の泥吐室は一枚ある可能性があるのだが、今日の探索エリアからはちょっと遠ざかってしまうのでパス。西へ引き返す。荒玉水道道路の周辺をちょっと見ておきたいのだ。
環七をわたり、梅里へ。水道の給水管線があるのか大ぶりの制水弁や空気弁、量水器などが目に付くが、特段珍しいものではない。

いや待てよ。足元にあるこいつ、ちょっと違和感が…。

あ! よく見ると文字の配置が非対称じゃないか。なんじゃこれは。

近所には錆がひどいが足長の制水エンもある。
ひと通り見たところで、青梅街道の北側に移動。予め情報を仕入れておいた荒玉水道の蓋があるのだ。これを撮影するのが本日の最初の(そして最低限の)ミッションだ。

あった、こいつだ。ちょうど蓋の端まで影が降りている。どうも私は荒玉の蓋とは(撮影時のライティングという意味で)相性がよくない。

文字拡大。「荒玉水道複排気エン」とあるが、要するに空気弁だろう。印鑑のような字だ。

車がようやく通れるような路地のちょうど真ん中にある。車のタイヤが踏まないので状態がいいのだろう。



いろんな撮り方で。なんだか既に挙げたのと大差ないがまあいいや。
しばらく付近で二匹目のドジョウを探すが全然いない。まだ歩いたことのない道を選んで高円寺へ。都丸書店で
・ドブロリューボフ「オブローモフ主義とは何か?
・「戦車と自由―チェコスロバキア事件資料集
を買い求める。
※ ※ ※
勿論歩いても良かったのだが、今日の第二の目的は井荻町水道の蓋探しである。旧杉並町内を歩く時間が勿体ないので中央線に乗った。
西荻窪で降りる。ここで昼食をとってから午後の部といこうかと思ったが、まだちょっと早いので少し歩いてみる。目抜き通りの一本脇を北上し、橋を渡りうろうろする。特に何もないが、そのうち武蔵野市の下水蓋がやけに多い道を見つけた。
まぎれこんだ越境蓋にしては妙にちゃんとつながっているので、さては武蔵野市の下水を東京都の幹線に送るための管路ではないかと推測した。
武蔵野市のサイトによれば、同市の第1処理区善福寺川排水区の下水は、都の善福寺幹線を経て落合水再生センターへ送られているというから、多分これに関係するのではないかと思った。

武蔵野市境から北へ。善福寺池近くの杉並浄水場を目指すのだ。途中に大きい蓋がいくつか。


歩いていて、脇をひょいと見ると防火水槽の標識が立っている。半ば民家の軒先のようなところに何故か蓋があり、それをよく見ると「消防廳」表記ではないか。大塚に続く、第二の現存例。
《注:この蓋の掲載にはいささか躊躇はないでもないが、単なる枡蓋などとは異なり本質的に公共に存在が公開されている消防水利の蓋であるから、場所は明示しないまでも蓋自体は公開することにした。》




さて、浄水場の側に来ると見つかったのが、この大小の制水エンである。辺りで古そうなのはこのくらいしかない。しっかりと萌え点。

浄水場の敷地内には色々と蓋が見える。見たいなあ。井荻町時代のも何かあるかも。
しばらく浄水場の周りをうろついてから東へ。「隣接五郡に於ける上水道に関する調査」(東京府、S7)p.167. の図(以下の埋め込み画像参照)によれば給水幹線があったはずの道をゆく。今日の早稲田通りと青梅街道に太い管があったようだが、きょうは後者を歩きたい。
善福寺池を背に歩き、井草八幡のところで右折。それにしても想像以上に立派な神社だ。
窓を曲がるとスーパーのサミットがあったりして、スギナミックな風景。上京直後の一年を杉並で過ごした私には懐かしい。


もうちょっと行くと神社の南側の参道があるが、その傍にこんな石碑が。井荻町の先進的な市街計画を記念顕彰するその由来は案内板にある通り。台石と合わせて7メートル以上という巨大なものだ。

肝心の古蓋はいっこうに出てこないが、荻窪郵便局の向かい辺りの歩道には東京府の紋章入りの境界石が立っていたりする。

そしてその傍には古い伸縮管の角蓋が。多分この蓋のある道までまっすぐだと思う。見比べると微妙に違うのが面白い。


その後環七を南下、線路の手前で西荻北の住宅地にまた入ると、ちょっと変わった東京市蓋が。どこかで見たと思ったら、「駅から」の下水君特集にあったやつだった。


もう何度目かわからんが善福寺川にかかる橋を渡ると、泥吐室の角蓋があった。地紋はさきほどの伸縮管類と同様のものだが、このタイプのを泥吐で見たのははじめて。
※ ※ ※
このへんで天気が怪しくなってきたので井荻町探しはやめて吉祥寺まで歩いて移動。
古本屋を覗いてゴンチャロフ「日本渡航記―フレガート「パルラダ」号より

駅前の駐輪場に自転車がたまたまなく、気になっていた古い消火栓を撮影できた。
その後荻窪まで二駅歩いて、メトロに乗って帰還した。
※ ※ ※
最後に。今日探して見つからなかった井荻町水道のマークの絵解き。原図は「マンホールのふた

「井・ヲ・キ・水」で井荻町水道というわけだ。
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