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    マンホール(170):東京府北豊島郡西巣鴨町の蓋

    この蓋を発見した顛末については、すでに速報記事に仕立てた通り。
    これで、現在の豊島区でかつて営まれた町営下水道はすべて出揃ったことになる。
    ちなみにほかの二つとは巣鴨町(同角蓋)と高田町(同角蓋)である。豊島区の旧自治体としては他に長崎町というのがあったが、ここは独自の下水道を持たなかった。
    ついでながらおさらいをしておくと、ほかの北豊島郡の下水蓋としては王子町(現北区)と尾久町のものも発見済みである。

       ※   ※   ※   

    それでは、長い長い解説を。

    西巣鴨町は、かつては旧中山道あたりが栄えていたほかは江戸近郊のありふれた農村であった。
    しかし大正期にはベッドタウン化が進み、関東大震災を機に市中からの流入人口も増大、面積3.8km²ほどの町は十ニ万以上の人口を抱えるに至った。横須賀市や浜松市を凌ぐ人口である。
    また人口密度は3万台であり、現在日本一の豊島区(まさしく西巣鴨町の後身だ)が2万人あまりであるからその凄まじい集中ぶりが伺える。言うまでもなく、当時は高層住宅など殆んど無い。

    こうした状況下で下水道の整備は急務である。府は早くも大正10年に東京市郊外の町村の下水道改良調査を行っており、昭和2年3月にはその成果たる設計書などを西巣鴨町に交付したという。
    それを受け、昭和4年に町会は予算を計上し、下水道調査委員会を発足。翌5年には茂庭忠次郎を顧問に招聘、計画の大要が成った。その後7年3月に下水道建設と費用の起債が内務省によって認可され、5月18日ついに着工となった―というのが沿革である。但し、正式の認可に先立つ昭和6年に既に若干の工事は行われていたことが伺われる。
    7年10月1日には町は東京市に併合されているから、西巣鴨町下水道として工事が行われたのは精々1年半という短期間である。

    町域は4つの排水区に分かたれた。すなわち、
    ・石神井川排水区(面積約455ヘクタール 下水道延長43070メートル)
    ・谷端川排水区(138ha,37070m)
    ・音羽排水区(100ha,19970m)
    ・谷田川排水区(17ha,4460m)
    である。これらを、昭和6年度から16年度までの11年間で完工するという計画だった。
    昭和6年度には4.2%、昭和7年度には9.9%の割合で執行する計画であったから、西巣鴨町の蓋が置かれたのは計画通りとしても町の1割前後であったことになる。

    さて、蓋探しの上で気になるのは、どこがどのくらい施工されたかなのであるが、これがどうも判然としない。
    延長については、514メートル説(「下水道東京100年史」)と4056m説(「豊島区史」S16)の両方があって、おそらく集計法か期間が違うのだろうが、いずれにせよ先の「4.2%、9.9%」とも齟齬をきたしており、どちらを取るべきかわからない。
    地区については、少なくとも「マンホールのふた」所載の現池袋3ー65付近と今回見つけた東池袋5の両地域は含まれることになる。前者は石神井川排水区で、後者は谷端川排水区である。

       ※   ※   ※   

    肝心の蓋は前回載せたとおりであるが、今回新たに日中の写真を撮ってきたので掲載しよう。

    mh170西巣鴨 (2)
    階段型路地の踊り場に彼はいる。別にまずいものは写っていないが、やや庭先感があったのでモザイクを掛けておいた。

    mh170西巣鴨 (1)
    せっかく昼に来たのにいまいち光の当り方が悪い。

    mh170西巣鴨 (3)  mh170西巣鴨 (4)
    更にズームイン。石縁もなかなか綺麗だ。

    mh170西巣鴨 (5)
    紋章部。「マンホールのふた」の丸蓋ともちょっと違う気もするが。

    mh170西巣鴨 (6)
    中を覗きこむと金網がゴミや小石や吸殻を受け止めているのが分かる。割と最近手が入っているらしい。
    近所には似たような階段路地が数多くあるが、少なくない箇所で舗装の更新などが行われていた。


    ※本稿は「西巣鴨町誌」を参考にしている。同書はGoogleBooksでも読める。
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    速報:西巣鴨町下水道の蓋を発見

    これまで東京市郊外自治体の上下水道蓋を探してきたが、路上ではついぞ見つけることのできなかった西巣鴨町下水道の蓋を今晩、発見したので早速報告記事を書く。

    「発見」とはいえ、これまで誰も知らなかった蓋ではない。何年か前にこの蓋を見たという大先輩蓋師の教示を得て行ってみたら本当にあったというそういう次第なのである。
    その先輩蓋師とは誰あろう、聖典「マンホールのふた (日本篇)」の著者、林丈二先生その人。本日、某所にて催された骨董マンホール会議の席上で、他のいくつかの蓋の所在情報とともにこともなげに紹介されたうちの一件というわけなのである。

    林氏によれば、問題のブツは新大塚近くの路地にあるという。厳密な箇所を覚えてはいらっしゃらなかったようで、やや曖昧な情報ではあったのだが、早速下水君氏とともに現地調査に赴く。ふたりとも邪教の聖夜には縁なき身の身軽さである。

    あっちでもないこっちでもないと、あの辺りにやたらとある坂道を降りては登り降りては登り、ついに十箇所目あたりで聖夜の奇蹟に出くわした。
    夜間の撮影で見難いがご容赦。いずれちゃんと日中に撮りに行くつもりでいる。

    西巣鴨町下水道 速報(1)
    全体像。どうやら完全に埋まっている模様。

    西巣鴨町下水道速報(3)
    周囲には4個巻の縁石も健在。

    西巣鴨町下水道速報(2)
    紋章部分。天地が一見わかりにくく、現地では逆に捉えていたが、家に帰って「マンホールのふた」を見たらこうだった。


    所在地は多分私道かと思うので詳細は伏せる。
    ……あしたはM町水道の蓋を探しに行こう。
    プロフィール

    rzeka

    Author:rzeka
    マンホール等探索者。

    因果なことにアカデミックニート=人文系大学院生でもある。
    rzekaはポーランド語で川の意。因みに発音はIPAだと[ˈʒɛka]になる。「じぇか」に近い音。



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