マンホール(172):荏原郡目黒町水道の蓋
西巣鴨町下水の蓋と同様、先月林丈二氏より所在情報を頂いた蓋である。
「数年前に行ったらまだあった」というお話で、現存するかどうかは運次第という感じであったが、蓋集会の翌日早速現地に赴いた次第である。
※ ※ ※
今回取り上げるのは、荏原郡・目黒町水道の消火栓の蓋だ。まずは例によって目黒町水道の沿革を。以下にページ番号を示した参考文献は「隣接五郡に於ける上水道に関する調査」(東京市、1932)。GoogleBooksで全文を無料で読むことができる。
目黒町が水道事業を営むに至った経緯は、東京市郊外町村の他の事例と殆んど同じ。住宅地の拡大と人口爆発によって井戸の水量水質が低下したことが発端だ。
折しも大正11年、隣町である渋谷町が水道起工を決めたことを受け、目黒町は渋谷町に一部地域への給水を打診する。渋谷町はこれを受諾し、一旦は目黒川以東の目黒町域でも渋谷町が水道設備を敷設営業する方針がまとまりかけたが、「独立しているべき自治体が隣町に水道の敷設経営を丸投げってどうなのよ」と監督官庁(内務省だろうか)から突っ込まれ、かたや目黒川以西でも玉川水道に給水を要請する動きも生じた。
結果、計画は一旦白紙化し、水道事業についての根本的な調査を大正13年4月より行うことになり、同年8月改めて渋谷町水道からの給水を軸とした計画を内務省に申請する。
翌14年4月内務大臣認可が下り、同年6月27日起工式が行われた。同年一部で給水が始まり、翌15年6月に創設工事が完成した(一部資料は竣工を4月としており、林丈二「マンホールのふた
」でも15年4月を給水開始としている)。創設時の最大給水人口は4万人、目黒川沿岸を中心とした地域に総延長39123メートルが敷設された(pp.18,110-112)。
この後も第1期拡張工事(昭和7年度~9年度)が計画されたが、認可を待たずして目黒町は東京市に合併され、水道事業も東京市水道局の営むところとなった。
昭和7年3月時点の設備は、総延長は56559メートル、消火栓264個、制水エン148個(p.152)。独自の水源・井戸は結局持たなかったので、水源地は駒沢給水塔ということになる。
※ ※ ※
さて、探訪記をはじめよう。林先生にうかがった所在地は林試の森公園のどこか。この公園は東半分あまりが目黒区下目黒、西半分が品川区小山台に分かれているので、とりあえず東門から入って探してみる。旧林業試験場の建物があったあたりが怪しいので、そこらへんを重点的に探す心づもりである。

門の傍に来るなりネコがお出迎え。来園者の前に立ちはだかって撫でるよう要求するふてぶてしいやつである。

公園の中央を横切るメインストリートを150メートルばかり行くと、あっさり見つかった。

一応舗装のさなかにあるのだが、両脇が土の広場であるから全体的に砂を被っている。
これは「マンホールのふた
」に掲載された消火栓蓋とは異なっている。同書キャプションにある「『消火栓』の文字がずっと小さいもの」の実物がこれなのだろう。またこの地紋は、一説では甲府市で採用されたのを初めとして北と東に普及したものらしく、現在では長野県でポピュラーなものとなっている長野県内に使用例が多い。その大多数は昭和初期までの設置と思われる。
【コメントを参考に斜体部のごとく訂正】

文字と紋章部を拡大。紋章部は特に見づらくなっているが、一番右のちくわぶみたいな現目黒区章と似ているのがわかるだろうか。

なお、この公園はそこら中にネコが。
「数年前に行ったらまだあった」というお話で、現存するかどうかは運次第という感じであったが、蓋集会の翌日早速現地に赴いた次第である。
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今回取り上げるのは、荏原郡・目黒町水道の消火栓の蓋だ。まずは例によって目黒町水道の沿革を。以下にページ番号を示した参考文献は「隣接五郡に於ける上水道に関する調査」(東京市、1932)。GoogleBooksで全文を無料で読むことができる。
目黒町が水道事業を営むに至った経緯は、東京市郊外町村の他の事例と殆んど同じ。住宅地の拡大と人口爆発によって井戸の水量水質が低下したことが発端だ。
折しも大正11年、隣町である渋谷町が水道起工を決めたことを受け、目黒町は渋谷町に一部地域への給水を打診する。渋谷町はこれを受諾し、一旦は目黒川以東の目黒町域でも渋谷町が水道設備を敷設営業する方針がまとまりかけたが、「独立しているべき自治体が隣町に水道の敷設経営を丸投げってどうなのよ」と監督官庁(内務省だろうか)から突っ込まれ、かたや目黒川以西でも玉川水道に給水を要請する動きも生じた。
結果、計画は一旦白紙化し、水道事業についての根本的な調査を大正13年4月より行うことになり、同年8月改めて渋谷町水道からの給水を軸とした計画を内務省に申請する。
翌14年4月内務大臣認可が下り、同年6月27日起工式が行われた。同年一部で給水が始まり、翌15年6月に創設工事が完成した(一部資料は竣工を4月としており、林丈二「マンホールのふた
この後も第1期拡張工事(昭和7年度~9年度)が計画されたが、認可を待たずして目黒町は東京市に合併され、水道事業も東京市水道局の営むところとなった。
昭和7年3月時点の設備は、総延長は56559メートル、消火栓264個、制水エン148個(p.152)。独自の水源・井戸は結局持たなかったので、水源地は駒沢給水塔ということになる。
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さて、探訪記をはじめよう。林先生にうかがった所在地は林試の森公園のどこか。この公園は東半分あまりが目黒区下目黒、西半分が品川区小山台に分かれているので、とりあえず東門から入って探してみる。旧林業試験場の建物があったあたりが怪しいので、そこらへんを重点的に探す心づもりである。

門の傍に来るなりネコがお出迎え。来園者の前に立ちはだかって撫でるよう要求するふてぶてしいやつである。


公園の中央を横切るメインストリートを150メートルばかり行くと、あっさり見つかった。


一応舗装のさなかにあるのだが、両脇が土の広場であるから全体的に砂を被っている。
これは「マンホールのふた
【コメントを参考に斜体部のごとく訂正】



文字と紋章部を拡大。紋章部は特に見づらくなっているが、一番右のちくわぶみたいな現目黒区章と似ているのがわかるだろうか。

なお、この公園はそこら中にネコが。
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