骨董マンホール入門(5)
骨董マンホール入門(1)および同(2)・同(3)・同(4)の続き。
[18]10月20日 19:56 正体不明のマンホール【問】

番外編その2。
公有地上のインフラ系の蓋だと、マンホールには大抵設置者や用途が分かるような文字文様が書いてあるものだ。
私有地にある蓋であれば、メーカーの紋章があるくらいで用途がわからないものも普通によくある。それ自体はなんということもない。
但し、目の利く変態蓋マニアにしかわからない感覚だと思うのだが、ときには「これはただの私製蓋ではあるまい」と思われる奇妙な蓋がある。
われわれはそういう曰くありげなものを「謎蓋」と呼んでいる。
そんな中でもとりわけ奇妙奇天烈な物件が東大農学部にあるので紹介する。
……「問」である。用途であるとは思えないし、そんなメーカーがあるという話も全く聞かない。
マニアの間では、農学部キャンパス(弥生)の隣を走っている「言問通り」と関係があるのでは、という説も出ている。それならどこかに「言」もあったりするのだろうか。
なお、注意が必要なのは、謎蓋と思われたものが実は遠方の街からやってきた子であることがあり(例えば北区の十条駅南の踏切には香川県高松市の市章入りの蓋がある)、こういう事例は「越境蓋」と呼ばれる。
[19]10月20日 20:19 手作り感あふれるマンホール【テレメータ】

番外編3。
マンホール上の文字は、かつては筆書き、昭和中期以降はレタリングでデザインされたものが原型となっていることが普通だ。
だがどこにも例外はある。中にはちまちま手作業で鉄線でも溶接したかのような変な蓋もある。
それがこの「テレメータ」である。街に点在する配水管理用の装置からの情報をやりとりするための電線が入っているはずの蓋だ。
小さい画像しかないのだが、文字部分が(写真2)のようになっている。
こりゃ「テレメータ」ではなく「テレメー夕」か?
[20]10月20日 21:29 今夜の骨董マンホール【本郷給水所】

もしかすると東京で最古ではないかとも言われている蓋である。
文京区の本郷給水所の前に2枚現存する。1980年台には港区の芝給水所にも1枚あったというが多分そちらはもう残っていない。
明治31年に淀橋浄水場が出来、翌年まずは神田・日本橋方面に給水が開始されたのが、東京の近代上水道のはじまりである。
ここ本郷給水所の設置もその頃で、芝給水所と並んで東京でも最古とされる給水拠点であったのだ。
そういう場所にだけある蓋であるから、かなり古いものである可能性が指摘されている。明治でないとしても、大正期までは遡れるのではないかと思う。
大正昭和の水道角蓋は、(写真3)のような地紋が使われているものが殆んどだが、それらの原型ともとれる意匠であるのが興味深い。
[21]10月21日 11:40 今日の骨董マンホール【本郷四丁目】

長々と続けさせていただいた骨董マンホール紹介記事もこれか次で最後だろうか。とまれもう少しお付き合いの程を。
これまでの蓋はいずれも今はなき自治体のものだったりして、マニア的にも非常に「特別」な感じが強いものだった。
そういうものは我々探蓋師には目立つ。しかし点的にしか残っていないので、その鑑賞はどうしても局所集中的・近視眼的になりがちである。
いかにも面白い骨董蓋の周りが全部今風の新式蓋で取り囲まれているなんてことも、よくある。
今回は、地味ながら「当時物」が揃っている本郷四丁目の歴史的蓋地区を紹介する。
(写真1)はそこらの側溝にはまっていそうな普通の古い蓋にしか見えないと思う。しかしこれは今日手に取れる最古の図面集である昭和4年刊「東京市下水道設計標準」に載っている、昭和初期の仕様なのだ。そしてこれはここでしか今のところ見つかっていない。
この蓋の隣にあるのが(写真2)の、やはり当時物の汚水桝角蓋。その傍にはさらに当時物の丸蓋もあり、(写真3)のような、蓋だけ見ればフレーム内がことごとく昭和初期のままという他には得難い光景を構成している。
……書いてはみたが、それぞれは面白みのない蓋だけでできた風景がどれほどマニアの心を打つかはまるで伝えられていない気がする。
マンガで例えると、さしずめアレだ。山岡士郎が京極をたらし込むために出した白飯味噌汁鰯の丸干しのような、原点にして至高の蓋体験をもたらす古蓋三点セットなのである。
[22]10月21日 16:56 骨董マンホール総括
21回にわたって骨董マンホール蓋を淡々と紹介する記事を投稿させていただきました。
前々回に都内最古の蓋(諸説あり)、前回に探蓋道の原点といえそうな蓋を紹介したので、ここらで切り上げるのが潮時と思います。
ニッチなテーマの記事の一方的な連投であったにも関わらず、望外の閲覧数とコメントを頂きましてありがとうございました。
今回の記事は、基本的には私のマンホールブログの記事を一般的入門的にリライトしたものです。関心のある方は暇つぶしに覗いて下されば幸いです。
http://rzeka.blog88.fc2.com/
飽きっぽい質なので期間限定は望ましいくらいですが、リライトとはいえ記事が消えるのは惜しいので、保存しておかなくては。
入門編を意識して書いたのは殆んど初めてのことで、個人的にも蓋知識の整理や概観にちょっと役立った気もしています。
[18]10月20日 19:56 正体不明のマンホール【問】

番外編その2。
公有地上のインフラ系の蓋だと、マンホールには大抵設置者や用途が分かるような文字文様が書いてあるものだ。
私有地にある蓋であれば、メーカーの紋章があるくらいで用途がわからないものも普通によくある。それ自体はなんということもない。
但し、目の利く変態蓋マニアにしかわからない感覚だと思うのだが、ときには「これはただの私製蓋ではあるまい」と思われる奇妙な蓋がある。
われわれはそういう曰くありげなものを「謎蓋」と呼んでいる。
そんな中でもとりわけ奇妙奇天烈な物件が東大農学部にあるので紹介する。
……「問」である。用途であるとは思えないし、そんなメーカーがあるという話も全く聞かない。
マニアの間では、農学部キャンパス(弥生)の隣を走っている「言問通り」と関係があるのでは、という説も出ている。それならどこかに「言」もあったりするのだろうか。
なお、注意が必要なのは、謎蓋と思われたものが実は遠方の街からやってきた子であることがあり(例えば北区の十条駅南の踏切には香川県高松市の市章入りの蓋がある)、こういう事例は「越境蓋」と呼ばれる。
[19]10月20日 20:19 手作り感あふれるマンホール【テレメータ】


番外編3。
マンホール上の文字は、かつては筆書き、昭和中期以降はレタリングでデザインされたものが原型となっていることが普通だ。
だがどこにも例外はある。中にはちまちま手作業で鉄線でも溶接したかのような変な蓋もある。
それがこの「テレメータ」である。街に点在する配水管理用の装置からの情報をやりとりするための電線が入っているはずの蓋だ。
小さい画像しかないのだが、文字部分が(写真2)のようになっている。
こりゃ「テレメータ」ではなく「テレメー夕」か?
[20]10月20日 21:29 今夜の骨董マンホール【本郷給水所】



もしかすると東京で最古ではないかとも言われている蓋である。
文京区の本郷給水所の前に2枚現存する。1980年台には港区の芝給水所にも1枚あったというが多分そちらはもう残っていない。
明治31年に淀橋浄水場が出来、翌年まずは神田・日本橋方面に給水が開始されたのが、東京の近代上水道のはじまりである。
ここ本郷給水所の設置もその頃で、芝給水所と並んで東京でも最古とされる給水拠点であったのだ。
そういう場所にだけある蓋であるから、かなり古いものである可能性が指摘されている。明治でないとしても、大正期までは遡れるのではないかと思う。
大正昭和の水道角蓋は、(写真3)のような地紋が使われているものが殆んどだが、それらの原型ともとれる意匠であるのが興味深い。
[21]10月21日 11:40 今日の骨董マンホール【本郷四丁目】



長々と続けさせていただいた骨董マンホール紹介記事もこれか次で最後だろうか。とまれもう少しお付き合いの程を。
これまでの蓋はいずれも今はなき自治体のものだったりして、マニア的にも非常に「特別」な感じが強いものだった。
そういうものは我々探蓋師には目立つ。しかし点的にしか残っていないので、その鑑賞はどうしても局所集中的・近視眼的になりがちである。
いかにも面白い骨董蓋の周りが全部今風の新式蓋で取り囲まれているなんてことも、よくある。
今回は、地味ながら「当時物」が揃っている本郷四丁目の歴史的蓋地区を紹介する。
(写真1)はそこらの側溝にはまっていそうな普通の古い蓋にしか見えないと思う。しかしこれは今日手に取れる最古の図面集である昭和4年刊「東京市下水道設計標準」に載っている、昭和初期の仕様なのだ。そしてこれはここでしか今のところ見つかっていない。
この蓋の隣にあるのが(写真2)の、やはり当時物の汚水桝角蓋。その傍にはさらに当時物の丸蓋もあり、(写真3)のような、蓋だけ見ればフレーム内がことごとく昭和初期のままという他には得難い光景を構成している。
……書いてはみたが、それぞれは面白みのない蓋だけでできた風景がどれほどマニアの心を打つかはまるで伝えられていない気がする。
マンガで例えると、さしずめアレだ。山岡士郎が京極をたらし込むために出した白飯味噌汁鰯の丸干しのような、原点にして至高の蓋体験をもたらす古蓋三点セットなのである。
[22]10月21日 16:56 骨董マンホール総括
21回にわたって骨董マンホール蓋を淡々と紹介する記事を投稿させていただきました。
前々回に都内最古の蓋(諸説あり)、前回に探蓋道の原点といえそうな蓋を紹介したので、ここらで切り上げるのが潮時と思います。
ニッチなテーマの記事の一方的な連投であったにも関わらず、望外の閲覧数とコメントを頂きましてありがとうございました。
今回の記事は、基本的には私のマンホールブログの記事を一般的入門的にリライトしたものです。関心のある方は暇つぶしに覗いて下されば幸いです。
http://rzeka.blog88.fc2.com/
飽きっぽい質なので期間限定は望ましいくらいですが、リライトとはいえ記事が消えるのは惜しいので、保存しておかなくては。
入門編を意識して書いたのは殆んど初めてのことで、個人的にも蓋知識の整理や概観にちょっと役立った気もしています。
スポンサーサイト