文京区町会コレクション【02】柳町小学校エリアの7町会
【02】柳町小学校(小石川1-23-16)……7町会
初音町町会、小石川表町町会、柳町町会、柳町中央町会、柳町三和会、八千代町町会、南戸崎町会
第2回は前回より南に移動し、小石川1界隈を紹介する。
この界隈は千川通り・白山通りを軸に前回エリア南側から春日駅の北側に至る一帯で、オフィス街・零細印刷工場街・住宅街などのさまざまな顔を持っている。ある意味で小石川界隈の縮図のごとき地域と言えそうだ。
地図でいくとこのへんである。例の昭和地図へのリンクも張っておこう。
大きな地図で見る
(1)初音町町会

初音町はいまの小石川1丁目・2丁目にまたがる。範囲は、東西は白山通りから源覚寺(こんにゃくえんま)裏、南北はこんにゃくえんまからグルメシティ向かいの自転車屋までくらいであろうか。
大通り沿いには商店街やいまどきの高層マンション群があって、一歩裏に入ると小さな民家や工場も残っている。ある意味で小石川界隈の縮図以下同文。
「ぶんきょうの町名由来」(文京ふるさと歴史館、2012改版)によれば、江戸開府間もない寛永元(1624)年、源覚寺が寺領として拝領し、門前町として開かれたものが起こりであるそうだ。ホトトギスがこの地から鳴き初めると言われていたことが由来か、と同書にある。
(2)小石川表町会

小石川表町は初音町の三倍はありそうな広い町で、現在の小石川3丁目南部に相当する。高名な伝通院を中心とした、やはり門前町だったらしい。いくつかある寺院や学校が面積の半分近くを占め、のこりは印刷製本工場・住宅街である。
しかしここはなぜか小石川表町会と表町町会に分かれている。ここで採り上げる小石川表町会は、表町の中でも伝通院の裏手、北側の一帯である。
…表町の裏手ってなんか侘しいな。
(3)柳町町会

柳町もなかなか広いのだが、ここは3つの町会にわかれているので、それぞれ別に解説しよう。
この何も付かない「柳町町会」は、柳町のなかでも千川通りの南側をさすと思われる。
この範囲は広くないのだが、歩き潰していないためまだ掲示板を見つけていない(ないかもしれない)ので、代わりに消火栓を。
(4)柳町中央町会

柳町中央町会は、柳町の東南部、小石川1丁目13~16番の辺りではないかと考えている。
結構狭い地域なので、掲示板を探すのに苦労し、唯一見つけたのが写真1である。なにも町会名が書かれていないのだ。仕方ないので、防災倉庫の掲示を見つけてきた(写真2)。
しかし、ある時通りかかると、ガムテープで隠れていたはずの町会名が露出(写真3)していた! めでたい。
(5)柳町三和会

残された柳町三和会は、柳町小学校の東側一帯である。NTTやら高層マンションやらの合間に長屋や製本屋がパズルのように組み合わさった街並みだ。
(6)八千代町町会

八千代町という名前は大正14年に改称されて付いたもので、かつては「小石川掃除町」といったそうだ。江戸時代は伝通院領で、御廟所掃除の者らが家作を拝領して成立したことがその名の由来であるという。
八千代町は北東・南西方向に長く、白山通りの東(白山1丁目)から柳町の北(小石川1丁目)を経て千川通りの西(小石川3丁目)に至っている。ひとつの旧町名が3つもの町丁にまたがっている例は珍しいのではないだろうか?
(7)南戸崎町会

前回紹介の戸崎町会とは別に、南戸崎町会というのもある。
旧戸崎町は千川通りによって南北に二分されており、通りの南側が南戸崎町会となっている。北(無印の戸崎町会)と南戸崎町会では、白山2丁目/小石川4丁目という塩梅に町丁すら違っている分断国家ぶりである。
初音町町会、小石川表町町会、柳町町会、柳町中央町会、柳町三和会、八千代町町会、南戸崎町会
第2回は前回より南に移動し、小石川1界隈を紹介する。
この界隈は千川通り・白山通りを軸に前回エリア南側から春日駅の北側に至る一帯で、オフィス街・零細印刷工場街・住宅街などのさまざまな顔を持っている。ある意味で小石川界隈の縮図のごとき地域と言えそうだ。
地図でいくとこのへんである。例の昭和地図へのリンクも張っておこう。
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(1)初音町町会


初音町はいまの小石川1丁目・2丁目にまたがる。範囲は、東西は白山通りから源覚寺(こんにゃくえんま)裏、南北はこんにゃくえんまからグルメシティ向かいの自転車屋までくらいであろうか。
大通り沿いには商店街やいまどきの高層マンション群があって、一歩裏に入ると小さな民家や工場も残っている。ある意味で小石川界隈の縮図以下同文。
「ぶんきょうの町名由来」(文京ふるさと歴史館、2012改版)によれば、江戸開府間もない寛永元(1624)年、源覚寺が寺領として拝領し、門前町として開かれたものが起こりであるそうだ。ホトトギスがこの地から鳴き初めると言われていたことが由来か、と同書にある。
(2)小石川表町会


小石川表町は初音町の三倍はありそうな広い町で、現在の小石川3丁目南部に相当する。高名な伝通院を中心とした、やはり門前町だったらしい。いくつかある寺院や学校が面積の半分近くを占め、のこりは印刷製本工場・住宅街である。
しかしここはなぜか小石川表町会と表町町会に分かれている。ここで採り上げる小石川表町会は、表町の中でも伝通院の裏手、北側の一帯である。
…表町の裏手ってなんか侘しいな。
(3)柳町町会


柳町もなかなか広いのだが、ここは3つの町会にわかれているので、それぞれ別に解説しよう。
この何も付かない「柳町町会」は、柳町のなかでも千川通りの南側をさすと思われる。
この範囲は広くないのだが、歩き潰していないためまだ掲示板を見つけていない(ないかもしれない)ので、代わりに消火栓を。
(4)柳町中央町会



柳町中央町会は、柳町の東南部、小石川1丁目13~16番の辺りではないかと考えている。
結構狭い地域なので、掲示板を探すのに苦労し、唯一見つけたのが写真1である。なにも町会名が書かれていないのだ。仕方ないので、防災倉庫の掲示を見つけてきた(写真2)。
しかし、ある時通りかかると、ガムテープで隠れていたはずの町会名が露出(写真3)していた! めでたい。
(5)柳町三和会


残された柳町三和会は、柳町小学校の東側一帯である。NTTやら高層マンションやらの合間に長屋や製本屋がパズルのように組み合わさった街並みだ。
(6)八千代町町会


八千代町という名前は大正14年に改称されて付いたもので、かつては「小石川掃除町」といったそうだ。江戸時代は伝通院領で、御廟所掃除の者らが家作を拝領して成立したことがその名の由来であるという。
八千代町は北東・南西方向に長く、白山通りの東(白山1丁目)から柳町の北(小石川1丁目)を経て千川通りの西(小石川3丁目)に至っている。ひとつの旧町名が3つもの町丁にまたがっている例は珍しいのではないだろうか?
(7)南戸崎町会


前回紹介の戸崎町会とは別に、南戸崎町会というのもある。
旧戸崎町は千川通りによって南北に二分されており、通りの南側が南戸崎町会となっている。北(無印の戸崎町会)と南戸崎町会では、白山2丁目/小石川4丁目という塩梅に町丁すら違っている分断国家ぶりである。
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