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    マンホール(207):東京都の変わり種制水弁?

    ここのところ町会シリーズばかりだったので、久しぶりに蓋方面での発見報告を。

    昨年末、賃労働の仕事納めのあとに数時間27キロに及ぶ蓋見を行ったが、成果ははかばかしくなく、日も落ちてきたところで地下鉄に乗ろうと荻窪を目指して青梅街道を北上していた。
    すると、「文大杉高前」交差点近くの植え込みに、なにやらあやしいものがある。

    mh207 (3)
    都章は見て取れる。その下の「水」の字もわかる。だが他は砂に埋もれていたりでよくわからない。枠も何か変だ。

    mh207 (2)
    部首のりっとう(刂)らしきものが見えるから、「制」なんだろうか。枠には小石が邪魔だが「閉」の字も見える。

    mh207 (1)
    これがまたわからない。「辛」らしいのが見えるから「瓣」だろうか。

    mh207 (4)
    都章の上には矢印が描いてある。

    mh207 (5)
    「閉」の反対側の砂を払ってみる。案の定「開」のようだ。

    mh207 (6)
    で、全体像。東京都水道のものとしては異質な感じがするが、見たような覚えはある。他の町にあったかな?


    その翌日。他のネタに関係して路上文化遺産DBを参照していたところ、類似の蓋画像がアップされているのに出くわした。これである。

    mh207(7).jpg
    (ライセンス:cc-by-sa-3.0 原著作者:EkikaraManhole)

    こちらは文字が内側外枠共にくっきりとしているが、一方で紋章はもともとなかったようだ。
    見たような覚えがあったのは、これのことだったのだろうか。都内外での目撃情報・使用例等がないか探してみようと思う。
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    文京区町会コレクション【08】小日向台町小学校エリアの2町会

    【08】小日向台町小学校(小日向2-3-8)……2町会
    小日向台町町会、茗荷谷町会


    前回の南側である。最大で8町会を紹介してきた当特集であるが、今度は最小の2町会。
    まあ少ないのにはわけがあって、単純な話だが、両町会が比較的広大な領域を支配しているからである。
    本題に入る前に、例によって昭和地図防災地図(リンク先PDF)、さらに序説を貼っておく。


    (1)小日向台町町会
    0801文京-小日向台町
    小日向台町は一丁目から三丁目まで存在した。今日の小日向2~3丁目の領域に、南北に長い形で東から一、二、三丁目という形で並んでいた。
    但し、小日向2丁目でも、かつて小日向水道町だった南部の低地は含まない。基本的にはその名の通り台地上の街である。
    古くは畑地であったそうだが、江戸中期には町が開かれ、武家地もできている。「真景累ケ淵」冒頭に登場する因縁の大元たる旗本・深見新左衛門の屋敷は小日向服部坂上にあるというが、これは小日向台町一の南端あたりのことであろう(もしかすると小日向水道町かもしれん)。
    現在はこの町内は殆んどが住宅地となっている。住宅以外は少数の商店のほか小学校と寺がある程度。茗荷谷町会のように駅や大学もなく、また第六天町や水道町などのように通りにも面していない奥まった町であるからだろうか。


    (2)茗荷谷町会
    0802文京-茗荷谷 (1) 0802文京-茗荷谷 (2)
    茗荷谷は現在は東京メトロ丸ノ内線の駅名に残っていることでしか知られていないかもしれないが、同駅裏・拓殖大学あたりから小日向公園の北側くらいまでを指す旧町名でもある。現町丁で言うと小日向1・2・4丁目(それぞれ部分)である。
    先ほどの小日向台町町会と比べると、鉄道施設や大学があるのが特徴的。東側の谷と、西側の台地という塩梅で地形的にも起伏が大きいのが特筆される。

    文京区町会コレクション【07】茗台中学校エリアの3町会

    【07】茗台中学校(春日2-9-5)……3町会
    文京中央町会、久堅町民会、久堅親交会

    北へ。
    例によって昭和地図防災地図(リンク先PDF)、さらに序説を貼っておく。


    (1)文京中央町会
    0701文京ー中央 (1) 0701文京ー中央 (2)
    なんとも偉そうな名前の町会である。なんだか文京区の要のような名乗りであるが、べつにそんなことはない。
    領域はおそらく旧・竹早町の領域と被るものと思われる。竹早町会ではない理由は私にはわからない。
    竹早町は、東は都立竹早高、西は第一中学校あたりまでの春日通り以北。今でいう小石川4・5丁目にまたがっている。
    町内にはエーザイ本社などが存在する。桜並木で知られる播磨坂上部もこの町だ。戸建てもあるが、多くはマンションに建て替わっており、それなりに高級住宅街の範疇に入る土地柄と言える。地場産業の零細印刷製本業はこのあたりでは殆んど稀になっている。


    (2)久堅町民会
    0702文京ー久堅町民 (1) 0702文京ー久堅町民 (2) 0702文京ー久堅町民 (3)
    旧久堅町の名を負う町会は、既に紹介済みの久堅自治会・久堅西町会に続く3つ目である。
    小石川4丁目は、春日通りを尾根とし千川通りを谷とする斜面状の土地ということができるが、当町会のある辺りはちょうどその中腹といえる区域だ(ちなみに尾根側が竹早町=文京中央町会で、谷側が後述の久堅親交会)。
    ここもこれといって珍しいものもないマンションと寺ばかりの街並みなのだが、防災地図を見ると「防災協定井戸」のマークが多数記されているのが面白い。
    ある寺にはいまも釣瓶式の井戸が遺っており、その向かいの高層マンションには「極楽水」なる涸れ井戸の遺跡が中庭状の公開緑地として整備されている。


    (3)久堅親交会
    0703文京ー久堅親交
    久堅を冠する第四の町会である。
    ここは小石川4の低地寄りの部分で、かなりの部分が共同印刷工場に占められている気配だが、工場の背後に若干の民家や寺があり、これらを構成員として運営されているのではないかと思う。
    本当にどうでもいいことだが、筆者はこのへんで4月の頭にセミの死骸を見かけたことがある。「羽化ズレ」という現象で、たまにそういう季節外れの個体がいるものらしい。
    プロフィール

    rzeka

    Author:rzeka
    マンホール等探索者。

    因果なことにアカデミックニート=人文系大学院生でもある。
    rzekaはポーランド語で川の意。因みに発音はIPAだと[ˈʒɛka]になる。「じぇか」に近い音。



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