文京区町会コレクション【09】旧第五中学校エリアの8町会
【09】旧第五中学校(小日向2-16-15)……8町会
音六町会、音羽七和会、音八会、音羽九桜町会、小日水町会、古川松ケ枝町会、関口一丁目南部会、関水町会
今回はけっこう多く、8町会を一挙紹介。小さいところが多いので、面積的には2町会のみだった前回とさほどの違いはないかもしれない。
本題に入る前に、例によって昭和地図と防災地図(リンク先PDF)、さらに序説を貼っておく。
(1)音六町会

音六は旧音羽六丁目の略。いまは文京区音羽は1・2丁目しかないが、かつて音羽は九丁目までに別れていた。
いちばん護国寺寄りが一丁目で、江戸川橋寄りが九丁目である(ただし九丁目と江戸川橋の間には、桜木町というごく小さな町が挟まれる)。現在の音羽1丁目は音羽四~九+桜木町+小日向台町三のうち鳩山会館のある一角、音羽2丁目は音羽一~三丁目に概ね該当する。
(ややこしいが、読者諸氏におかれては漢数字の丁目が旧町名、算用数字の丁目が現町名というこのシリーズの凡例を思い出されたい。)
で、音六町会である。このあたりは首都高が建設されたりして昭和前期の地図とは街並みがそれなりに変わってしまっており、上の昭和地図と現在の地図を比べても範囲を厳密に照らし合わせるのは難しい。
だいたい、小日向方面から「鼠坂」なる階段を下ったあたりの一角の、音羽通り両側が該当するようだ。
表通り沿いはほとんどオフィスビル。裏手にいくとマンションや昔からの民家も若干あるというのがこの辺りに共通した景観である。
(2)音羽七和会

音六の南側に隣接。もしかすると鳩山会館を含むかもしれない、というくらいしか特記すべきことはない。
(3)音八会

さらに南側の旧八丁目の領域である。音六町会・音羽七和会・音八会と名称の付け方がちょっとずつ違うのが面白い。
特記することはこれまたない。あ、そういえばこの記事に出てくる神社はどうやら音八の区域内だと思う。
(4)音羽九桜町会

音羽の南端に位置する。「桜」の字が入っているのはおそらく当町会に前述の通り旧「桜木町」の領域が含まれるためだろう。この「桜」は、音羽七和会の「和」のように目出度い文字を入れるパターンとは明確に意図が異なるといえる。
なお、文献上の表記とは違い、掲示板の現物においては「音羽九櫻町会」と旧字で表記されている。
(5)小日水町会

小日水は小日向水道町の略であろう。現在の小日向2南側と水道2西側にあたる。これといって面白いものはない町であるが、住宅の向こうに当地に移転してから350年の寺が潜んでいたりと、江戸前期に開かれた街らしさも見て取れる。
(6)古川松ケ枝町会

文京区と新宿区の境目は概ね神田川に沿っているが、文京区域が川の南に侵食している部分が若干ある。それが文京区関口1丁目である。「早稲田・神楽坂界隈をぶらついていて、橋も渡ってないのに住所が文京区となって驚いた!」という経験をお持ちの方がいるかもしれないが、あなたが知らず知らずに踏み入ってしまったのはこの知名度のない街・関口1なのです。
その関口1は旧町名でいうと6つほどの町にわかれているのだが、古川松ケ枝町会はそのうち最東端の3つの旧町からなっている。すなわち東古川町・西古川町・松枝町である。これらはいずれも小さく、ずべて合わせても現在の関口1の2割強位を占めるにすぎない。
前述のように神楽坂の街の外れのように捉えられることの多い一画である。江戸川橋駅の東側出口あたりもこの町会の領域と言って良さそうだ。
(7)関口一丁目南部会

ここは関口1を構成する6つの旧町のうち、小日向町ひとつが該当する。
今日存在する小日向1~4丁目は小日向台町・小日向水道町・水道端・茗荷谷町などが合わさってできたものだが、この無印の旧・小日向町は神田川以南の新宿区(牛込区)の山吹町と接するあたりにあり、今日の小日向に合流することなく関口町の一画におさまっている。
旧町名をそのまま町会名に戴いていないのも、今日の小日向との混同を避けるためであろう。
(8)関水町会

最後の関水町会は、旧・関口水道町に該当する地域である。
…ってまた「水道」だ。伝通院近くの水道町から順に、水道端・小日向水道町・関口水道町が接していることになる。あ、小日向水道町の対岸には新宿区(牛込区)水道町もありますな。
関水町会は、関口1の中部といえる。江戸川橋駅の南側に接する市街の多くはここに含まれる。
西は新宿区鶴巻町に接するあたりまで。このさらに西側に関口町会というのが一つあるのだが、こちらは当連載記事の採用するエリア区分だと他所になるので割愛。
音六町会、音羽七和会、音八会、音羽九桜町会、小日水町会、古川松ケ枝町会、関口一丁目南部会、関水町会
今回はけっこう多く、8町会を一挙紹介。小さいところが多いので、面積的には2町会のみだった前回とさほどの違いはないかもしれない。
本題に入る前に、例によって昭和地図と防災地図(リンク先PDF)、さらに序説を貼っておく。
(1)音六町会


音六は旧音羽六丁目の略。いまは文京区音羽は1・2丁目しかないが、かつて音羽は九丁目までに別れていた。
いちばん護国寺寄りが一丁目で、江戸川橋寄りが九丁目である(ただし九丁目と江戸川橋の間には、桜木町というごく小さな町が挟まれる)。現在の音羽1丁目は音羽四~九+桜木町+小日向台町三のうち鳩山会館のある一角、音羽2丁目は音羽一~三丁目に概ね該当する。
(ややこしいが、読者諸氏におかれては漢数字の丁目が旧町名、算用数字の丁目が現町名というこのシリーズの凡例を思い出されたい。)
で、音六町会である。このあたりは首都高が建設されたりして昭和前期の地図とは街並みがそれなりに変わってしまっており、上の昭和地図と現在の地図を比べても範囲を厳密に照らし合わせるのは難しい。
だいたい、小日向方面から「鼠坂」なる階段を下ったあたりの一角の、音羽通り両側が該当するようだ。
表通り沿いはほとんどオフィスビル。裏手にいくとマンションや昔からの民家も若干あるというのがこの辺りに共通した景観である。
(2)音羽七和会


音六の南側に隣接。もしかすると鳩山会館を含むかもしれない、というくらいしか特記すべきことはない。
(3)音八会

さらに南側の旧八丁目の領域である。音六町会・音羽七和会・音八会と名称の付け方がちょっとずつ違うのが面白い。
特記することはこれまたない。あ、そういえばこの記事に出てくる神社はどうやら音八の区域内だと思う。
(4)音羽九桜町会


音羽の南端に位置する。「桜」の字が入っているのはおそらく当町会に前述の通り旧「桜木町」の領域が含まれるためだろう。この「桜」は、音羽七和会の「和」のように目出度い文字を入れるパターンとは明確に意図が異なるといえる。
なお、文献上の表記とは違い、掲示板の現物においては「音羽九櫻町会」と旧字で表記されている。
(5)小日水町会

小日水は小日向水道町の略であろう。現在の小日向2南側と水道2西側にあたる。これといって面白いものはない町であるが、住宅の向こうに当地に移転してから350年の寺が潜んでいたりと、江戸前期に開かれた街らしさも見て取れる。
(6)古川松ケ枝町会


文京区と新宿区の境目は概ね神田川に沿っているが、文京区域が川の南に侵食している部分が若干ある。それが文京区関口1丁目である。「早稲田・神楽坂界隈をぶらついていて、橋も渡ってないのに住所が文京区となって驚いた!」という経験をお持ちの方がいるかもしれないが、あなたが知らず知らずに踏み入ってしまったのはこの知名度のない街・関口1なのです。
その関口1は旧町名でいうと6つほどの町にわかれているのだが、古川松ケ枝町会はそのうち最東端の3つの旧町からなっている。すなわち東古川町・西古川町・松枝町である。これらはいずれも小さく、ずべて合わせても現在の関口1の2割強位を占めるにすぎない。
前述のように神楽坂の街の外れのように捉えられることの多い一画である。江戸川橋駅の東側出口あたりもこの町会の領域と言って良さそうだ。
(7)関口一丁目南部会




ここは関口1を構成する6つの旧町のうち、小日向町ひとつが該当する。
今日存在する小日向1~4丁目は小日向台町・小日向水道町・水道端・茗荷谷町などが合わさってできたものだが、この無印の旧・小日向町は神田川以南の新宿区(牛込区)の山吹町と接するあたりにあり、今日の小日向に合流することなく関口町の一画におさまっている。
旧町名をそのまま町会名に戴いていないのも、今日の小日向との混同を避けるためであろう。
(8)関水町会


最後の関水町会は、旧・関口水道町に該当する地域である。
…ってまた「水道」だ。伝通院近くの水道町から順に、水道端・小日向水道町・関口水道町が接していることになる。あ、小日向水道町の対岸には新宿区(牛込区)水道町もありますな。
関水町会は、関口1の中部といえる。江戸川橋駅の南側に接する市街の多くはここに含まれる。
西は新宿区鶴巻町に接するあたりまで。このさらに西側に関口町会というのが一つあるのだが、こちらは当連載記事の採用するエリア区分だと他所になるので割愛。
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