文京区町会コレクション【11】林町小学校エリアの3町会
【11】林町小学校(千石2-36-3)……3町会
林町町会、丸山町会、大原町会
前回からずいぶんと間が開いたが、町会シリーズの続きである。
今回は、序説の11番目のエリアを取り扱う。例によって防災地図(リンク先PDF)と昭和地図も参照されたし。
(1)林町町会

林町は小石川植物園北西側に隣接する一帯で、今日の千石1・2に属する。「ぶんきょうの町名由来」によれば、町名は林大学頭に因むとも、単に木々が生えていたからとも言われているらしい。古くは百姓地、1745年に町奉行支配下となり、明治初期に七軒町から林町に改称し、隣接の武家地などを併合して形成されたものだという。
町域の最南端、植物園との際にある氷川神社が目立つくらいで、基本的には住宅地である。
(2)丸山町会

掲示板をまだ見つけ出していないので、幟で代用する。というか常時出ていないもののはずなので、幟の方が希少なのだが。
丸山町は千石3の大部分を占める。東は林町に接し、西側の境界はそのまま文京区と豊島区南大塚との境界となっている。
こちらの由来もよくわからないようだ。高校がひとつあるくらいで大部分は住宅地となっている。そういえば確かこの町にはかつて鈴木首相の私邸があり、終戦の際には叛乱部隊の焼き討ちを受けているはずである。
(3)大原町会

大原町はその名に反し、ごく小さな町であった。現在の千石3-38,41と千石4-1(部分)を占めるにすぎない。道路による区画でいうと1と3/4ブロック程度でしかない。大きな野原に建てられた町家なので大原町…という由来説がある模様だが、その「野原」自体は丸山町林町西原町などを指すということになろうか。
地下鉄千石駅から徒歩数分圏なのもあってか再開発の兆しもなくはなく、不忍通り沿いには真新しいマンションもあるのだが、一方で角地に建つ江戸時代から続く米屋「伊勢五」がよく識られている。母屋は明治・蔵は大正の建物で、国の登録有形文化財に指定されており、その偉容はなかなかのものだ。
大きな地図で見る
林町町会、丸山町会、大原町会
前回からずいぶんと間が開いたが、町会シリーズの続きである。
今回は、序説の11番目のエリアを取り扱う。例によって防災地図(リンク先PDF)と昭和地図も参照されたし。
(1)林町町会

林町は小石川植物園北西側に隣接する一帯で、今日の千石1・2に属する。「ぶんきょうの町名由来」によれば、町名は林大学頭に因むとも、単に木々が生えていたからとも言われているらしい。古くは百姓地、1745年に町奉行支配下となり、明治初期に七軒町から林町に改称し、隣接の武家地などを併合して形成されたものだという。
町域の最南端、植物園との際にある氷川神社が目立つくらいで、基本的には住宅地である。
(2)丸山町会

掲示板をまだ見つけ出していないので、幟で代用する。というか常時出ていないもののはずなので、幟の方が希少なのだが。
丸山町は千石3の大部分を占める。東は林町に接し、西側の境界はそのまま文京区と豊島区南大塚との境界となっている。
こちらの由来もよくわからないようだ。高校がひとつあるくらいで大部分は住宅地となっている。そういえば確かこの町にはかつて鈴木首相の私邸があり、終戦の際には叛乱部隊の焼き討ちを受けているはずである。
(3)大原町会

大原町はその名に反し、ごく小さな町であった。現在の千石3-38,41と千石4-1(部分)を占めるにすぎない。道路による区画でいうと1と3/4ブロック程度でしかない。大きな野原に建てられた町家なので大原町…という由来説がある模様だが、その「野原」自体は丸山町林町西原町などを指すということになろうか。
地下鉄千石駅から徒歩数分圏なのもあってか再開発の兆しもなくはなく、不忍通り沿いには真新しいマンションもあるのだが、一方で角地に建つ江戸時代から続く米屋「伊勢五」がよく識られている。母屋は明治・蔵は大正の建物で、国の登録有形文化財に指定されており、その偉容はなかなかのものだ。
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