文京区町会コレクション【12】第十中学校エリアの3町会
【12】第十中学校(千石2-40-17)……3町会
原町西町会、上御殿町会、林町南町会
前回からずいぶんと間が開いたが、町会シリーズの続きである。
今回は、序説の12番目のエリアを取り扱う。例によって防災地図(リンク先PDF)と昭和地図も参照されたし。
(1)原町西町会
原町西町会は、旧原町の一部で、現在の白山4丁目西側に相当する。第10回のおさらいだが、旧原町は現在二分されており、北側が現白山5の原町町会となっている。
一部を除き低層の民家が並ぶ一帯で、とりたててランドマークといえるものはないが、南に接する小石川植物園の古びた壁が延々陰々滅々鬱々と続くさまはなかなか風情がある。

さて、この写真の右端に、殆んどレンズに対し垂直に映っているのが、上の2枚目の「ここは白山4-37」の掲示板だ。その向かいにある緑色の掲示板は、後述の林町南町会のものだ。電柱に千石1丁目1の街区表示板が出ていることからも分かるように、この通りが白山4と千石1との境目になっている。
(2)上御殿町会

上御殿町会とは、旧白山御殿町のうち、植物園の北側に角のように突き出ている部分。ここで第4回のおさらいだが、白山御殿町は過半の部分が現・白山3丁目となっている。而して、その部分の町会は東御殿町会と白山御殿町睦会に東西で分かたれている。
残された部分が今回紹介する上御殿町会で、現・白山4の東側に相当する。つまり(1)原町西町会の隣だ。
この町会の掲示板はあまり多くないと思う。掲載のものは播磨坂の先でみつけた。
(3)林町南町会

前回、林町町会を取り上げたが、林町南町会もお察しの通り、かつて林町の一部だった部分である。「南町会」とはいうが、実際には最も東側の一画を領域としているため、林町東町会とでも言ったほうが実際に即しているように思う。
植物園の西端に網干坂というのがある。これを登り詰めた先の、林町小学校と第十中学校の間の道あたりが境界線となっている模様だ。領域は現在の千石1・2にまたがっている。
…今回取り上げた3町会には共通点がある。本文中にも述べた通り、いずれもが大規模な旧町から分立してできた部分だということだ。
原町は、主の原町町会(白山5)と余りの原町西町会(白山4)。白山御殿町は、主の東御殿町会+白山御殿町睦会(白山3)と余りの上御殿町会(白山4)。林町南町会は、主の林町町会と余りの林町南町会(白山4寄りの千石)。
こうやってまとめてみると、現在の白山4丁目というコミュニティは「寄せ集め」で成り立っているかのようだ。
このあたりは町人地としての開発が小石川地域ではかなり遅かった土地だ。それゆえコミュニティ成立のためのコアはいつも他所にあり、そういう意味で文字通りの余白=マージンであったのだろう。そうした土地の来歴が、今日役所が設定した防災避難エリアにも影を落としている…白山4丁目はいまもってマージナルな街なのだ。
…などと適当な事を述べてみる。全く的外れでもあるまいが、そんな安易に説明しきれるもんでもあるめえ。
原町西町会、上御殿町会、林町南町会
前回からずいぶんと間が開いたが、町会シリーズの続きである。
今回は、序説の12番目のエリアを取り扱う。例によって防災地図(リンク先PDF)と昭和地図も参照されたし。
(1)原町西町会


原町西町会は、旧原町の一部で、現在の白山4丁目西側に相当する。第10回のおさらいだが、旧原町は現在二分されており、北側が現白山5の原町町会となっている。
一部を除き低層の民家が並ぶ一帯で、とりたててランドマークといえるものはないが、南に接する小石川植物園の古びた壁が延々陰々滅々鬱々と続くさまはなかなか風情がある。

さて、この写真の右端に、殆んどレンズに対し垂直に映っているのが、上の2枚目の「ここは白山4-37」の掲示板だ。その向かいにある緑色の掲示板は、後述の林町南町会のものだ。電柱に千石1丁目1の街区表示板が出ていることからも分かるように、この通りが白山4と千石1との境目になっている。
(2)上御殿町会

上御殿町会とは、旧白山御殿町のうち、植物園の北側に角のように突き出ている部分。ここで第4回のおさらいだが、白山御殿町は過半の部分が現・白山3丁目となっている。而して、その部分の町会は東御殿町会と白山御殿町睦会に東西で分かたれている。
残された部分が今回紹介する上御殿町会で、現・白山4の東側に相当する。つまり(1)原町西町会の隣だ。
この町会の掲示板はあまり多くないと思う。掲載のものは播磨坂の先でみつけた。
(3)林町南町会



前回、林町町会を取り上げたが、林町南町会もお察しの通り、かつて林町の一部だった部分である。「南町会」とはいうが、実際には最も東側の一画を領域としているため、林町東町会とでも言ったほうが実際に即しているように思う。
植物園の西端に網干坂というのがある。これを登り詰めた先の、林町小学校と第十中学校の間の道あたりが境界線となっている模様だ。領域は現在の千石1・2にまたがっている。
…今回取り上げた3町会には共通点がある。本文中にも述べた通り、いずれもが大規模な旧町から分立してできた部分だということだ。
原町は、主の原町町会(白山5)と余りの原町西町会(白山4)。白山御殿町は、主の東御殿町会+白山御殿町睦会(白山3)と余りの上御殿町会(白山4)。林町南町会は、主の林町町会と余りの林町南町会(白山4寄りの千石)。
こうやってまとめてみると、現在の白山4丁目というコミュニティは「寄せ集め」で成り立っているかのようだ。
このあたりは町人地としての開発が小石川地域ではかなり遅かった土地だ。それゆえコミュニティ成立のためのコアはいつも他所にあり、そういう意味で文字通りの余白=マージンであったのだろう。そうした土地の来歴が、今日役所が設定した防災避難エリアにも影を落としている…白山4丁目はいまもってマージナルな街なのだ。
…などと適当な事を述べてみる。全く的外れでもあるまいが、そんな安易に説明しきれるもんでもあるめえ。
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