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マンホール(103):豊多摩郡・千駄ヶ谷町下水道?の蓋

渋谷区内にある下水の骨董蓋としては、神宮前界隈などに多数現存する東京府のものが代表格で、各町によるものはさほど豊富ではない。そもそも渋谷あたりは、東京市に併合される以前には上水道事業こそ行われていたものの、ちゃんとした下水道は戦後まで造られてこなかったためだ。

昔の東京の下水道には一口に言っても二通りある。
上に「ちゃんとした下水道」と書いたが、これすなわち、下水幹線を通じて処理場に送られ、浄化されたうえで川や海に排出される「改良下水道」だ。これは今日の一般的な公共下水道と同じものである。東京市や、千住・王子・巣鴨・大久保等の各町が運営した下水道はこちらである。
一方、「ちゃんとしていない下水道」は、「在来下水道」という。これは要するに近代以前からあった排水路で、処理施設もなく、早い話が生活排水の垂れ流しである。水洗便所を設置することはできない。要するにドブである。

東京市に併合された時点で、渋谷区の下水の多くは後者の在来下水にとどまっていた。
併合前の昭和5年に策定された「東京都市計画郊外下水道」によって、渋谷区内に改良下水道を造る計画は示されていた。だが、渋谷川に並走して下水幹線を造るこの計画は長らく着手されなかった。昭和30年代になって、渋谷川そのものを下水幹線にするよう方針転換がなされたことで、ようやく改良下水道が実現したのであった。

渋谷区は、渋谷町・千駄ヶ谷町・代々幡町が合併して出来上がった区である。それぞれの町では大正時代から下水道整備に向けた調査が行われ、昭和5年に先述の「東京都市計画郊外下水道」にまとめあげられた。
肝心の渋谷川傍の下水管線が実現しなかった以上、この郊外下水道計画は不発に終わったと言える。しかし、一部のドブを暗渠化するに際しては、どうやら郊外下水道計画を準用したものらしい。紋章入りの蓋も一部では使用されているのだ。


正規の下水ではないぶん、いつもより前置きが長くなった。ここに紹介するのは、以前別の記事でも取り上げた千駄ヶ谷町(推定)の下水蓋である。

mh103-1千駄ヶ谷町遠景
宅地の脇道に入り、軽く傾斜のついた坂を上がった途中にその蓋はある。

mh103-2千駄ヶ谷町  mh103-3千駄ヶ谷町紋章部
「千」の字の上下に見える文字は「土木」だろうか。多分土木課とかそういう名称の部署が管轄していたのではなかろうか。
この蓋のある場所は、現在の下水道台帳に管渠も蓋も記載がない。私道なのだろうと思われる。「マンホールのふた」によると、蓋の裏には昭和6年の銘が入っているらしい。となれば東京市になる前の製造である。

なにぶん正規の計画通りの下水ではないことから、この蓋の来歴の特定は困難だ。現存は多分この一枚きりだろう。林丈二氏は3枚見つけていたそうで、「マンホールのふた」刊行時点では道玄坂(但し道玄坂は渋谷町で、越境蓋だったことになる)にもあったそうだ。

千駄ヶ谷町での在来下水の暗渠化工事は、田原光泰「春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史」によると昭和3年には始まっているという。もしかするとそうした箇所には、当時この「千」の字入りの蓋が設置されていたのかもしれない。
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