fc2ブログ

    マンホール(17):東大駒場の農学部・一高の蓋

    マンホール(1)マンホール(9)マンホール(14)本郷キャンパスの帝大時代の蓋を採りあげたが、今度は駒場キャンパスの番である。

    現在駒場キャンパスには主に教養学部が置かれているが、かつては第一高等学校(一高)が、さらに以前には駒場農学校、帝大農学部等があった。
    年号を整理してみると、以下のようになる。


    明治11(1878)~昭和10(1935) 駒場農学校-東京農林学校-農科大学-帝大農学部
    昭和10(1935)~昭和25(1950) 第一高等学校



    しからば、一高や農学部時代の蓋が残っていてもおかしくない。それを撮ってきた。


    まずは、農学部時代から残る唯一の蓋とされる逸品だ。銀杏並木の東端(つまり生協側)にある。
    mh17-1.jpg


    それから、一高の銘入りの蓋だ。
    二枚とも一号館裏にあるなんだかよくわからない出入口のところにある。銀杏並木よりはちょっと建物寄り。
    mh17-2.jpg  mh17-3.jpg  

    次の2枚はどこにあったかちょっと忘れた。確か、左の蓋が1号館と7号館の間くらい、右の蓋が6号館と13号館の間くらいにあった。やはり、銀杏並木の上にある。
    mh17-4.jpg  mh17-5.jpg

    上段右と下段左の蓋とほぼ同一フォーマットのものが、本郷に帝大の蓋として存在する。そのことはマンホール(1)マンホール(9)で記したとおり。
    上段左の蓋と似たものも本郷にはあるが、+模様の地紋が本郷のにはない。もしかするとかつての帝大本郷キャンパスにも+地紋入りの蓋があったのかもしれない―いや、探せば今でもあるかもしれない。


    ここに載せた全ての蓋は銀杏並木沿いにある。ほかの場所にあまり残っていない理由としては、
    ①並木には車が普段入ってこないこと(マンホールは、車が入ってこない場所ならば多少磨滅しても問題ない。マンホールが交換されるのは、得てしてスリップの危険を避けるためである)
    ②ほかの場所と違い並木付近は建物が建て替わったりしていないので、管の位置等が古くから変わっていない。従ってマンホールの位置もそのままである。
    等が考えられる。

    現図書館と博物館の間の道にも一高下水の蓋があるが、並木以外の蓋はそれくらいしか見つけていない。

    そういえば、昭和10年に駒場に来る前は、一高は本郷・弥生の現在農学部のある場所にあったのだった。
    ならば、現農学部構内をうろつけば一高の蓋が見つかることもありうる理屈だ。駒場に農学部の蓋があったように。今度見て来よう。
    関連記事
    スポンサーサイト



    コメントの投稿

    非公開コメント

    プロフィール

    rzeka

    Author:rzeka
    マンホール等探索者。

    因果なことにアカデミックニート=人文系大学院生でもある。
    rzekaはポーランド語で川の意。因みに発音はIPAだと[ˈʒɛka]になる。「じぇか」に近い音。



    当ブログについて:リンクはご自由に。拙文がリンクされるようなサイトの話題には多分関心があるので、よければリンク張ったら呼んで下さい。画像の直リンクはfc2の環境上望ましくない(ちゃんと表示できないケースが多い)ようですので、あまりおすすめしません。なるべく記事ごとかブログトップ、カテゴリトップへのリンクを推奨します。但し、文章・画像その他すべての著作権は当方に帰属します。 ©rzeka

    カレンダー
    09 | 2023/10 | 11
    1 2 3 4 5 6 7
    8 9 10 11 12 13 14
    15 16 17 18 19 20 21
    22 23 24 25 26 27 28
    29 30 31 - - - -
    検索フォーム
    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    amazon
    2012.6~
    RSSリンクの表示
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QRコード
    リンク