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文京区町会コレクション【04】第一中学校エリアの5町会

【04】第一中学校(小石川5-8-9)……5町会
東御殿町会、白山御殿町睦会、久堅自治会、久堅西町会、小石川五丁目互楽会



今度は早めに起稿した。町会掲示板シリーズも第4回である。
いきなりだが、本論に入る前に凡例もどきを一つ書き記しておく。そういうことはなるべく事前かいっそ事後にまとめるべきなのはわかっているのだが、筆者のいい加減さを慮って後漢書もといご寛恕頂くとして、書いておきたいのは町丁の数字についてだ。
以後このシリーズでは、漢数字の丁目は旧町名、算用数字のそれは現行町名ということでひとつよろしく。前回記事から例を引くと「富坂一丁目町会は、今日の小石川2丁目の東南端部の小さな一画である」といった具合です。

さて、今回の5町会は、今までの南北に並んだエリアの西側である。地図を出すとこの辺り。わけあって画像は少ないが、ちゃんとどうにか全町会をカバーしております。
Google Mapsではこのあたり。一応千川通りに面してはいるものの、これまでの3エリアと比べるとぐっと住宅地の割合が増えている。後楽園界隈の金太郎飴的な、いわば「都心の端」な雰囲気が控えめになってきた感がある。



大きな地図で見る

それから例のエリア分けが載っている防災地図はここに載っているPDFオモテ面です。再掲。

それでは本編に入ります。これから30分、あなたの目はあなたの体をべつに離れたりはせず、この不思議な町会世界の中に入って行くのです。

(1)東御殿町会
0401文京ー東御殿 0401文京_東御殿町会_幟
東御殿町会の名称は、旧町名の白山御殿町の東側を占めることによる。
白山御殿町は、現在の白山3丁目全てと4丁目東端の一部、さらに小石川5丁目北端のごく一部からなっていた。町域の真ん中には北西から東南方向に幅広く小石川植物園が横たわっていて、ゆうに面積の半分に達している。
白山御殿町の名称は、「ぶんきょうの町名由来」によれば、1652年に将軍に就くまえの綱吉が当地に建てた別邸に由来する。御殿は将軍就任後廃され、跡地は幕府の御薬園や「赤ひげ」の小石川養生所を経て、1877(明治10)年に東大の管理下に入り現在の理学部付属植物園に至っている。

さて、肝心の東御殿町会は、白山3丁目部分に存在する。白山3は、大部分が植物園からなっているが、植物園と千川通りの間には、民家や例によって印刷製本業が並ぶ幅35~100メートルほどの住宅地がある。千川通りの一本向かいには共同印刷本社工場があり、界隈の零細工場にとってはいまやこちらが「御殿」であろう。

なお、小石川植物園内にもごく僅かに東大職員宿舎があるのだが、ここの住民が町会への加入を希望したら、入れるのはここなのだろうか、隣の白山御殿町睦会(次項)なのだろうか?
約180世帯の小さな町会であり、掲示板もちょっと歩いただけでは見つからなかった。従って大型消火器と祭礼の幟で代用したい。


(2)白山御殿町睦会
0402文京ー白山御殿町睦
白山御殿町睦会は、前述の白山御殿町の細長い町域の西側と思われる。境目は小石川消防署がある辺だろうか?
車の通れない細い路地が千川通りと植物園をつなぐように並行に走り、隙間に小さな建物が密集している。
町会の地域内には「江戸川乱歩文庫」などで知られる春陽堂書店の営業所があり、個人的に気になっている。明治期から戦前までは文芸界の大手出版社で、戦前探偵小説の愛好家には重要な会社であったのだが、今はまあ細々とだが地道に営業を続けている。


(3)久堅自治会
0403文京-久堅自治 (1) 0403文京-久堅自治 (2)
久堅自治会は、旧町名では久堅町、現在の小石川4・5丁目に当たる。久堅町は比較的広く、現在では4つの町会に分かれている。久堅町の町名は明治2年にいくつかの武家地を併合した際に命名されたものだという。

久堅自治会の領域は千川通り南沿いの細長い一画で、約350世帯を擁する。このあたりは周辺に比べると印刷製本業が少なく、通り沿いにはマンションが多く商業ビルも点在する。多分、向かいの白山地区よりは地価等も高いのではなかろうか?


(4)久堅西町会
0404文京ー久堅西
久堅西町会は久堅自治会の南側にあたる。播磨坂中腹とその北西側の一帯であろう。あまり広くはなさそうである。
この辺りはマンションが増えつつある住宅地であるが、オフィス用のビルも少なくはない。そう特徴のある街並みではない。


(5)小石川五丁目互楽会
0405文京-小石川五丁目互楽
文京区内でもかなり小さい部類に属するのがこの小石川五丁目互楽会だ。なにしろ、番地にして3つ分しかない。このサイトに拠れば、世帯数も45程度という。
なぜこういう狭い地区だけで独立しているのか? 謎の鍵は旧町域の境界線にある。例の昭和地図で現小石川5丁目の範囲を見て頂きたい。問題の一画だけは、久堅町ではなく白山御殿町であるのが分かる。

隣接する町会は、現町名・小石川5の「久堅自治会」と現町名・白山3の「白山御殿町睦会」である。当エリアは小石川5であっても久堅町ではないし、もと白山御殿町であっても目下白山ではなく小石川であるから、どちらになってもちと齟齬がある。そういうわけで独立に至ったのではあるまいか。昭和42年初の住所表示変更以前にはどうだったのだろう。
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因果なことにアカデミックニート=人文系大学院生でもある。
rzekaはポーランド語で川の意。因みに発音はIPAだと[ˈʒɛka]になる。「じぇか」に近い音。



当ブログについて:リンクはご自由に。拙文がリンクされるようなサイトの話題には多分関心があるので、よければリンク張ったら呼んで下さい。画像の直リンクはfc2の環境上望ましくない(ちゃんと表示できないケースが多い)ようですので、あまりおすすめしません。なるべく記事ごとかブログトップ、カテゴリトップへのリンクを推奨します。但し、文章・画像その他すべての著作権は当方に帰属します。 ©rzeka

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