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    暗渠ブーム便乗・消火用吸水孔の正体を追う!

    新刊暗渠本「暗渠マニアック!」や「ブラタモリ」を始めとするテレビ番組の影響もあってか、ここのところ路上観察界で暗渠への注目が高まっている。
    そこでブームに便乗して、暗渠に関連する骨董蓋の記事を書くことにしたのでみな読むように(←えらそう)。

    筆者はかつて、第二回マンホールナイトにおいて「暗渠と蓋」と題する発表を行った。その際の資料等はこちらの記事にまとめてあるのでみな読むように。
    さて、このとき採りあげた蓋のなかでもっとも謎が多く興味深いものが、渋谷川の旧・八千代橋上に2枚存在する東京府の消火用吸水孔だ。暗渠物件ではないが善福寺川の和田廣橋には府ではなく東京市or都の消火用吸水孔もある。

    mh81-2.jpg mh113-2都消火用吸水孔

    この消火用吸水孔について、前回発表の内容をおさらいしておこう。
    まず設置時期
    府のものは、八千代橋架橋から東京府廃止までのS10.9~S18。
    市のものは、所在地の中野杉並が東京市入りしたS7.10~S18。もし都制施行以降の蓋ならばS18~もありうる。
    次に設置部署
    上水道関係とすると、府章のものがあるのはおかしい。
    下水道とすると、市or都章ではなく、下水道局のマークが入っていないのはおかしい。
    消防の可能性はありそうだが、消防博物館のひとの見解では、どうも前身の警視庁消防部も含め、東京消防庁の装備品ではないようだ。橋の真ん中に尠からず強度を損なう孔をあけるなどとは想定しがたいことで、水面から直に汲み上げることは戦前既に可能であったはずというのが理由だ。
    主だった設置者候補が消えたところで私が立てた仮説は、普通の消防用ではないこと及び時代背景を鑑みると、この蓋は防空用(つまり空襲対策)の設備だったのではないか、というもの。それを前提に戦時下帝都東京の防空計画を探ると、

    ・昭和18年:東京市訓令 東京市防空設備管理規程
     ~貯水槽、橋梁吸管投入孔、自然水利設備などを東京市土木局長の管轄と定める
    ・昭和19年9月:東京都防空計画
     ~第124条 河川濠池ノ自然水利ヲ有効ナラシムル為導水路、水位上昇施設、呼水設備、水利接近施設、橋梁吸管投入孔等ヲ整備スルモノトス
    ・昭和19年:都訓令甲8 「都防空設備管理規程」
     ~第34条  管理者ハ吸管投入桝ニ泥土塵芥ノ堆積セザル様常ニ浚渫ヲ完全ニ行フベシ
     ~第35条  管理者ハ橋梁吸管投入孔ノ蓋ノ開閉ヲ容易ナラシムル様整備シ置クベシ


    などが見つかった。
    あくまでも仮説に基づく推測でしかなかったが、筆者はこの時点で、消火用吸水孔を橋梁吸管投入孔あるいは自然水利設備のどちらかに該当するもので、府(18年まで)および都(18年以降終戦まで)の土木局による設置と推定した。そして、この見立てが正しければ、消火用吸水孔はじつは一種の戦争遺跡なのではないか?とこじつけた次第である。

    我ながらいい線いっていると思われたこの仮説だが、探してもなかなか確証傍証がない日々が続いた。いっそ反証が現れたほうがすっきりするのに、などと思いつつもこの課題はしばらく放置していた。

       ※   ※   ※

    今年5月。べつの用件で都公文書館のデータベースを検索していた私は、なんとなく「和田廣橋」を検索してみた。すると、「和田見橋・和田廣橋竣功」という記事が昭和13年4月23日の東京市公報に載っていることが判明。それまでもっと古いのかと早合点していた架橋が、八千代橋よりも新しいものと初めて知った。前後の公報を読めば芋づる式になにか分かったりしないかな、と、賃労働明けの肉体を引きずって都立中央図書館に赴いた。

    東京市公報のマイクロフィルムは、半年分くらいが一巻に収まっていてとてもお買い得。ひと月ごとに差し込まれた索引などを手がかりに関連しそうな記事を探していく。市設仔豚育成場やら、出征中の市職員の訃報やら興味深い記事はいろいろとあるものの、お目当ての記事は出てこない。和田廣橋が、東京市土木局河川課により善福寺川改修工事の一端としてS13年3月末付で竣工されたとわかっただけであった。

    しかし。マイクロフィルムのリールを繰ること小一時間。ついに私は「防空都市計画上より観たる防火及消防施設の概要」(企画局都市計画課)なる連載記事を発見したのである。昭和13年8月の12・13・16・18・20・25日の6回に亘る連載の最終日に、問題の記述はあった。「第三項 橋梁の改造」にはこうあった。

    「橋面上より河水を利用する場合ポンプの吸管は欄干を越えて投入する為め揚程を増加し吸上不能となる場合が往々ある。依って橋面上に吸管投入孔を設備すれば少くとも揚程約一米を減じ自然水利々用上の効果は増進することゝなる。即ち吸管投入孔は一橋梁に就き二個宛を、一側の歩道上夫々河岸に接して設け、径間小なる橋梁に就いては一橋に付一個宛とし歩道上径間の中央に設くるのである。従って既設橋梁に就いては夫々改造を為すと共に、今後新設さるゝ橋梁に就いては最初より吸管投入孔を施設すべきである。」1792頁(通番)より

    目的と働きが明記されている文献は初めて見た。また、「一橋梁に就き二個宛を、一側の歩道上夫々河岸に接して設け」というくだりはが渋谷川八千代橋の、「径間小なる橋梁に就いては一橋に付一個宛とし歩道上径間の中央に設くる」のくだりは善福寺川和田廣橋の状況そのものではないか!

    さて、こうなってくると、東京市or都章の蓋が都制施行後の設置であろうとする先の仮説はちょっと見直しが必要となる。当時の土木局関係の文献をもろもろ出してもらい、改めて手がかりを探すと、昭和12年の「東京都市計画概要」(東京市企画局都市計画課 編・刊)に気になる記述があった。渋谷川改修工事は東京府知事執行、善福寺川改修工事は東京市長執行だというのである。蓋の紋章が異なる謎の正解がこれなのかは言い切れないが、少なくともこれによって説明することは可能だ。

    以上が、筆者の調査の範囲では、消火用吸水孔に関係すると思しき最も詳細な記述である。「東京市公報」のすべてを洗いざらい見ればまだ何かある可能性はあるし、都公文書館には工事資料そのものが残っていて不思議はないが、さすがにそれだと目を通すべきものが莫大すぎて手に余る。

    どうやら、企画局都市計画課というのが無理のある防空計画をでっちあげされられた不幸な部署であるようだ。後世の消防署が呆れるような「橋に穴を開けませう」などという苦し紛れの提案だが、その効果のほどは怪しい、というか米軍の空襲能力はそんな小手先で奏功するようなレヴェルではなかったことはご存知の通り。

    なおこの調査にはオチがある。労働後の疲れた体で、不鮮明なマイクロフィルムを小一時間も睨んでようやく見つけ、何百円か払って印刷してもらったこの文章の冊子版が、国立国会図書館デジタルコレクションにしれっと大公開されていたということである。
    あの手間と出費はなんだったのか。防火やら防空やらでいろいろ検索した時には出てこなかったはずなのに…。

       ※   ※   ※

    さらに後日、芝浦運河に架かる浦島橋に、市章入りの消火用吸水孔が2枚現存することがある探蓋師によって報告された。
    この橋、面白いことに和田廣橋とまったく同じ昭和13年3月竣工らしいのだ。当時、東京市による東京港建設事業が施工中であり、範囲は隅田川河口から羽田あたりまでに及んでいたらしい。芝浦のこれもその一環であった可能性はあるのだが、これはどうも確証がまだない。
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    マンホール等探索者。

    因果なことにアカデミックニート=人文系大学院生でもある。
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